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1243 鳥崎=岩船郡粟島浦村(新潟県)義経伝説が結ぶ本土と粟島その北東端の岬がここなので… [岬めぐり]

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 安宅の関からから日本海沿岸を辿って奥州へ落ち延びる義経主従の逃避行に伴う伝説は、この沿岸にいくつもの足跡として記録されているが、これもまたそのひとつ。
 村上市馬下(まおろし)というのは、笹川流れの山と海の間の痩せた海岸線に沿うようにへばりついている集落のひとつで、そこから八幡鼻までは西北西に23キロもある。馬下という名からしてちゃんと伝説を踏襲しているようだが、いくらなんでも、これを馬が泳いで渡ったというのはどうなんだろうね、というのは現代人の常識的な疑問なのかも知れない。だが、あるいはひょっとしてそういうこともあったかも…と考えるほうが楽しい。
 この島の馬の爪が短いのは、時には野馬たちが海岸に出て岩磯を歩くもんだから、石に磨かれているんだとか、なかなか伝説も芸が細かい。
 そういえば、野馬復活の努力も相当細かくて、粟島浦村に埋葬された最後の1頭の馬の骨からDNAを採取し、木曽馬など8種の日本在来馬のどれに近いのか鑑定を行なったのだそうだ。そのうえで、一番近い種の馬を島に移送して繁殖させようということらしい。
 「あわしま風土記」にはさらに、こんな話も付け加えられている。皇居前にある馬に乗った楠木正成の銅像の馬は、粟島の馬がモデルだというのだ。こんな話が出てくるのも、明治天皇の新発田巡幸にさいして、粟島の野馬を天覧に供にするというので一騒ぎがあったこととか、銅像の制作スタッフに佐渡出身者がいたとかからきたものだろう。伝説は、そのようにしてつくられる。
 皇居前広場の楠木正成(まさしげ)の銅像は、今ではわざにそれを見に行くという人も少なかろうが、でんでんむしは高校の修学旅行でそこに初めて行ったが、それはその横が観光バスの駐車場になっていたからだろう。
 この銅像は、長い間一銭五厘のはがきの印面になっていた。切手を集めていた頃に、そのエンタイア(切手や印面にスタンプが押された使用済みの葉書や封書)も何十枚か手に入れていたので、なじみがある。
 ちょっと脱線するが、よくものの本では、昔の徴兵制では一銭五厘のはがき1枚で徴兵されたとか、兵隊の代わりは一銭五厘で集められるが馬はそうはいかないとか、古参兵や上官からお前らの命は一銭五厘だと言われて殴られたとか、さまざまな話が伝えられてきた。
 戦争中は大政翼賛会の仕事をしていた花森安治も、戦後も1970年になって「見よぼくら一戔五厘の旗」という随筆を書き、本も残している。はがきの額面が一銭五厘だったのは、1899(明治32)年から1937(昭和12)年までだったが、実際にははがきで徴兵が行なわれたわけではない。赤紙は地域の役人などが、戸別に訪問し「おめでとうございます」とか言って手渡しで届けたという。
 ここでもまた、伝説がつくられていたわけだ。
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 鳥崎は、粟島の北東端なので、この岬が見えるところまでくると、対岸の新潟県や山形県の山脈がその向こうに見える。その名前からすると、ここも鳥の営巣地か何かのようにも思えるが、そんな気配でもない。岬の北側を走る船の上からだと、順光の中に緑が美しい岬である。大きな岩が島のように張り出していて、右の尾根の上にはよく見ると展望台と白い手すりの階段があるのがわかる。
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 この岬から東へ海上22キロのところが、国道7号線と345号線が合流する勝木付近である。勝木から北北東に7.5キロ行けば、新潟県と山形県の県境がある鼠ヶ関。そこにも、粟島や馬下に続く義経伝説があったはずである。鼠ヶ関には灯台もあり、岬状の島もあるが岬名がないので、「番外:鼠ヶ関(山形と新潟の境で)」として収録している。
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 村上から北へかけて、あるいは鼠ヶ関を過ぎて南へ向かう羽越本線を走る列車からは、かなり長い間この粟島の姿は見えているわけだが、とくに端っこの鳥崎はみんながその名も知らずによく眺めている岬なのかも知れない。
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 本土から常に見えている島は、当然対岸のどこかの領地に含まれてしまう。村上藩領から幕府領、のちには上野館林藩預所、そして出羽庄内藩預所等を経て宝暦年間以降は米沢藩預所として扱われてきた。
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▼国土地理院 「地理院地図」
38度29分16.54秒 139度15分49.33秒
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dendenmushi.gif北越地方(2015/06/29 訪問)

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タグ:新潟県 歴史
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コメント 2

佐藤 幹彦

荘園とかで農家の侍現新発田市の頼朝の力大きいとおもいました。
猿沢の虚空蔵寺のあたりで、情報を仕入れ、日本海にでる。
塩の道おたどり村上市柏尾にぬけたのとおもいます。
馬下部落で馬を降り弁慶のつつじは5月ころですので、花が咲いていたのでしょう。それを記念に植えたそうです、2月京都出
情報を仕入れて船で鼠ヶ関となるのでは。
馬とかは、粟島の人に買ってもらい。路銀とした、そうしないと頼朝のとがめがあるとこまるから。
by 佐藤 幹彦 (2023-08-09 00:53) 

佐藤 幹彦

コメント俳句、べんけいの 千年越えの つつじかな、
by 佐藤 幹彦 (2023-08-09 11:19) 

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