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番外:再び「奇跡の一本松」へ=陸前高田市気仙町(岩手県)改めてここを再訪してみる気になったのは… [番外]

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 マグニチュード9.0の大地震は、気象庁の正式名称では「東北地方太平洋沖地震」というらしいが、被害は東北地方だけではなかったということからか、「東日本大震災」のほうが定着しているようだ。陸前高田市では、押し寄せた大津波によって市の中心部が壊滅し、全世帯のうち7割以上が被害を受けた。JR東日本大船渡線の竹駒駅・陸前高田駅・脇ノ沢駅・小友駅と線路も流失した。2011(平成23)年の6月末で、陸前高田市の死者は1,656人、行方不明者は95人であったという。(おくればせながら、「陸前高田市」の「高田」は「たかた」です。)
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 この地震によって、海岸線も大きく変わってしまったが、小友町では84センチ、米崎町では58センチの地盤沈下を観測したという。
 現在、陸前高田市の平地では、気仙川の西にある山から土砂をとって、市街地を嵩上げする工事が盛んに行なわれているようで、その土を運ぶ銀色に光るコンベアなどが、やたら目立っている。
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 前回、バスの雨の車窓から、淋しく眺めていた「奇跡の一本松」を、今度はちゃんと現地で見てみようと思ったのは、この一本松のモニュメントをつくるにあたっては、日本の自動車メーカー各社の技術者が知恵とワザを出し合って完成させたと知ったからだ。
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 見たからといって、技術者でもない素人に、感心すべき何がわかるわけでもないが、見に行くことにもそれなりの意義があるように思えたのだ。
 東西に長く続いていた松原の、西の端っこに、津波が引いた跡にたった一本だけ残った松の木。
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 それもやがて枯れてしまうが、その姿をなんとか残したいという思いは、日本中の人びとの被災地にたいする思いを象徴していたのかもしれない。
 最初の「なんだかなあ…」という印象から、徐々にそっちへ意識が変わっていったのだ。
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 「奇跡の一本松」は、かつての松原の北側にあった古川沼の水路が、西の気仙川の河口に接するところ、ほんとうに西の端で、水路の名残を橋で渡って行ったところにぽつんと立っている。バイパスから南へ海岸にかけての字地名は砂盛。文字通り、嵩上げ工事で巨大な砂の盛山ができているが、地名の由来は気仙川の河口と松原の海岸の砂が堆積してできた土地であることを示しているようだ。
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 壊れていた水門も、以前と比べると多少は片付けられているが、周囲はすべて工事中で、そこへ行くための通路と、土砂を盛り上げたところに階段と手すりで囲った見晴台が、訪れる人用に設けられていた。これは、別に観光用に設けたわけではなく、一帯で大がかりに進められている土盛り工事の過程でできたもののひとつを、階段と手すりをつけて臨時の見晴台にしたものだ。
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 一本松の南には、遠く左手には広田半島が、近く右手には長部漁港の恵比寿鼻と白浜崎が望める。これで前回と今回二回にわけての被災地の岬めぐりは、いちおうその輪をつなげて閉じることになる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
39.003445, 141.625171
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dendenmushi.gif東北地方(2014/11/07 訪問)

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タグ:岩手県
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