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番外:大江本家と留辺蘂=北見市留辺蘂町温根湯温泉(北海道)多くの人にはめったに縁がないかも知れないこの地域の紹介 [番外]

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 北海道は広い。岬めぐりでは、あと日本海側の一部と島嶼部を残すところまではなんとかこぎつけたわけだが、内陸部はほとんどと言っていいくらい知らない。道東・オホーツクと札幌や旭川を結ぶのは、鉄道では南の根室本線・釧網線と北の石北本線である。道路ではいくつものルートはあるが、国道の番号が若いものでは、釧路から帯広・富良野を結ぶ38号線と、網走から旭川に出る39号線がある。
 鉄道の石北本線が、遠軽のほうを大きく迂回しているのに対して、国道39号線は北見から西へ石北峠を越え、大雪山の東麓・層雲峡を抜けて旭川に出る。石北本線も石北峠も、その名はこの線で結ばれるふたつの国の旧国名(石狩国と北見国)からついている通り、高い山で隔てられた国を往来するには、高い峠を越えなければならない。
 紋別郡遠軽町と上川郡上川町を通る石北本線は北見峠を石北トンネルで越え、その南で北見市と上川町の層雲峡に抜ける39号線が1,000メートルの石北峠を越える。
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 海岸線ばかりを歩く岬めぐりでは、こうした内陸部へはなかなか縁がないのだが、かつてでんでんむしがやっていたマイナーなウエブサイトで、か細い縁がつながっていた温根湯温泉の大江本家には、かねてから行きたいと思いつつなかなか実現できずにいた。そこで、今回こそはぜひとも投宿してみたいと思ったので、石北本線を通るオホーツクからの帰り道に、留辺蕊(るべしべ)の駅で降りて、39号線を走るバスで温根湯温泉に寄ることにした。
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 留辺蕊駅の周辺はきれいに整備されていて、町の大通りの店にはそれぞれ看板でユニークなイメージを出そうとしている。高浜虚子の句碑があるという看板につられて駅前広場の自転車置き場(これがまた立派)のほうへ行くと、周囲を花壇で飾った黒い石の句碑がある。(これは平成7年に留辺蕊町が建てたものだが、2006(平成18)年には町は北見市と合併した。)
   皆降りて 北見富士見る 旅の秋
 旭川で開かれた俳句大会でやってきたのは1933(昭和8)年のことで、層雲峡で吟行して留辺蕊駅で北見富士を見るためにホームに降りたときの句である。当時はまだ石北峠越えのルートは開通していなかったはずなので、層雲峡からまた旭川に戻ってから石北本線の列車に乗っていて留辺蕊駅に降りたのだろうか。碑にあるようにその夜は阿寒湖に泊まっているとすれば、虚子一行はここからどういうルートを辿ったのだろうか。(もっとも、阿寒湖のほうは比較的早くから観光地として名高いところだったはずなので、交通の便はよかったのだろう。)
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 温根湯温泉に向かう途中の道筋の畑にも、タマネギの箱(枠)がたくさんおいてある。湧別で見たタマネギは、実はこっちの北見地域のほうが先にはじめた本場だったのだ。
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 運転手とのやりとりから、バスに乗り合わせたご年配のご婦人方のグループも、大江本家に泊まるらしいとわかったので、その一行とは反対側の道から無加川に出る。「無加」もアイヌ語の「川を越す=ム(塞がる)カ(いかに越すか)からつけられた名だと北海道が河畔に建てた看板が言う。温泉があるので、川が凍るのも遅かったが、凍って初めて川を渡ることができた。
 目の前に大江本家があり、隣にもホテルが並んでいるが、温根湯温泉の主な宿は現在ではこの2軒のようだ。足湯もある河畔や夢花橋と名付けられた橋の上から、北見富士を探してみたが見えない。
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 宿の裏の秋らしくなり始めていた林の中を一周りして大江本家に入り、まずは社長さんにご挨拶する。昔のささやかな繋がりを懐かしがってもらい、温泉に浸かって気持ちよくのんびりした。
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 温泉浴場への通路に、大江本家の歴史が述べられている。この温泉宿のルーツを辿りながら、この地方の歴史も探ってみよう。
 この家の先祖は、山形の大江さんである。山形といえば、左沢(あてらざわ)の大江町があるし、寒河江には大江姓の人が多く集っている。そのルーツは大江広元にも繋がるのだが、それはさておき…。(この話は長くなるなるので、また折りを見てアーカイブスに入れておきたい。)
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 温根湯がアイヌの言葉では、「大きな湯の沸くところ」の意味だというので、古くからアイヌはそれを知っており、無加川沿いに狩猟期の宿泊場所を設けていたらしい。しかし、この留辺蕊の一帯は、壮大な原野であり、鬱蒼とした原始林に囲まれていて、滅多に人が入ることもなかった。
 1819(明治24)年には、網走と旭川を結ぶ中央道路が開通し、屯田兵1000名が野付牛(当時は北見のことはそう呼んでいた)と湧別に入植している。
 1897(明治30)年頃になると、この原始林の調査が入り、改めて良質な泉質、豊富な湯量の源泉が再発見される。ここで温泉宿を始めた、大江本家創始者の大江輿四蔵は、1899(明治32)年に温泉出願の免許を取得している。
 やはり温泉も豊富な山形の人であった輿四蔵は、屯田兵開拓に伴って北海道に渡ってこの地に縁ができ、温泉にはピンとくるものがあったのだろう。多額の費用を投じて温泉開発に乗り出す。
 けれども、当時はまだ交通の便も悪い山間僻地の域を出ないこの地では、相当に苦労があったようだ。明治40年以降になると、拓殖道路(後に国道39号線になる)の留辺蘂=温根湯間が開通し、大正の始めになって鉄道の開通整備が進んだことによって、本格的な温泉宿経営が成り立つようになったと思われる。
 実は、野付牛までは、大江本家開業の当時には旭川からの鉄道があったはずなのだが、これは富良野・池田経由だったという。地図でそのルートを想像すると、現在の帯広の東にある池田からは、足寄を経ているはずだが、その先がわからない。へたすると留辺蕊は通らなかった可能性もある。
 大江本家の記録でも、1912(大正元)年に留辺蕊=野付牛の間の鉄道が開通し留辺蕊駅開業とあるので、このときの網走延伸と1916(大正5)年の下湧別=遠軽=留辺蘂=野付牛を結ぶ湧別軽便線の開通など、大正になってからの周辺の鉄道網整備が待たれたのであろう。
 それによって、留辺蕊と温根湯の間には客馬車が運行され、町も徐々に発達し、1920(大正9)年には旭川第七師団の転地療養所にも指定され、延べ45,000人もの傷病兵が療養したという。
 大正5年には温根湯にも電灯がつき、それから5年後の1921年には客馬車が自動車になる。その名も“大江自動車”なのだが、大江本家の社長さんによるとこれは同郷の遠縁にあたる大江さんが起こしたものだったという。
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 昭和に入って二代目、三代目が受け継いだ大江本家は、大雪山国立公園の指定(昭和9)、法人化して株式会社設立(昭和29)、国道39号線の開通(昭和32)などもあって、観光地・温泉地として売り出しに力を注ぐ。(絵が好きで自分でも画筆をとった三代目敬二の絵は自家オリジナル土産物やパンフレットにも使われているが、コレクションを集めたギャラリーもある。なかなかクロウト裸足の絵である。)
 平成11年に、温根湯温泉開湯100年を迎えた後は、先代夫人の後を継ぐ現社長が四代目だという。
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 留辺蕊は、「ルペシペ=ru-pes-pe=[道・それに沿って下る・もの(川)」に由来するそうだ。温根湯を流れる無加川は、東に向かって大江本家の前を流れるが、北見で常呂川と合流してサロマ湖と能取湖の間からオホーツク海に注ぐ。
 石北峠の南、標高1,541メートルの三国山(この山の西にあるのが一時期有名になった2,141mのトムラウシ山)の源流から無加川・常呂川が海に出るまでは、およそ105キロもある北見市は、択捉島留別村を除くと北海道の自治体として最大の面積がある。
 “多くの人にはめったに縁がないかも知れない”とタイトルは付けてみたが、大江本家は旅行会社の北海道ツアーでは「あの」がつくくらい有名なのだ。これまで縁がなかった人は、ぜひ温根湯温泉に行ってみてね!
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 大江本家の歴史を通じて、この地域のことを少しだけなぞってみたが、鉱山の ことなどまだまだ触れなかったことも多いが、ひとまずこのへんで…。

▼国土地理院 「地理院地図」
43.759577, 143.509059
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dendenmushi.gif北海道地方(2014/09/29〜30訪問)

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タグ:北海道 歴史
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