1167 象の鼻・エエイシレド岬・知床岬=斜里郡斜里町大字遠音別村(北海道)行けなかった岬と知床その他 [岬めぐり]
「知床」の語源もアイヌ由来で、「シリ・エトクまたはシリ・エトコ(sir-etoko)=地(〜の)・突端部」すなわち岬の意味であるという。ほらね、また岬だ(…とついこの前にも書いた)。
アイヌにも岬にも関心がない、ごく一般の普通の人々にも、「知床」の名を一躍知らしめ、全国的に有名にしたのは、森繁久弥と加藤登紀子であった、と言っても過言ではないだろう。戸川幸夫の「オホーツク老人」を原作とした1960年の映画『地の涯に生きるもの』のロケで、森繁が長く滞在したのは半島東海岸の羅臼であった。
そのロケの打ち上げで集った地元の人々の前で、感謝を込めて自分が即興でつくった歌を披露した…というふうに紹介してある情報は多い。しかし、疑り深いでんでんむしは、即興であんな完成度の高い曲と詞をつくるなんて、いかに森繁が天才であっても…とそのエピソードには疑いをもっていた。
それが、ついこの前NHKのテレビに出ていた倍賞千恵子が話していたのを聞いて氷解した。
即興とはいっても、その曲はそれより前に彼自身がつくっていた「オホーツクの舟歌」があって、その歌詞だけを即興で変えて歌った、ということらしい。それならまだ納得ができる。元の「舟歌」は「霞むクナシリわが故郷 何日いつの日か詣でむ御親の墓に」といった、わりと重たいものだったのを、少し軽めに変えたのだろう。それがいくつかの変遷を経て、1970年に加藤登紀子のアルバムからシングルカットされるに及んで、「知床旅情」は大ヒットする。
いつも思うことだが、歌の力は偉大であって、この歌も知床を知らない多くの人にこの見知らぬ地への大きな、あるいはそこはかとない心情を抱かせる。でんでんむし自身も、それまで地図でしか知らなかった知床に、いつの間にかなにかしら具体的なイメージを重ねるようになっていた。
知床の岬めぐりは、これまでも何度か計画を立てようとしては不発に終わっていた。それは、いつも近くまで行くならもうちょっと足を伸ばして…という方式で考えてみただけだからで、知床に何泊かするつもりの特化した計画でないとうまくない。
今回も、オホーツクの岬めぐりを、なんとかかんとか知床半島の西海岸まで引っ張ってみたもので、それはそれで達成はできたものの、結局積み残しになってしまった岬も4つほどできてしまった。
西海岸のオシンコシン崎からはじまって、これまで6つの岬をみてきたが、この北にも象の鼻とエエイシレド岬という岬が続いている。しかし、そこへは道もないので船でしか見ることができない(と思う)。
知床自然センターでバスを降りて、終点の知床五湖まで行かなかったのは、たぶんきっと正解であったのだろう。もしかすると、五湖まで行けばその途中の車窓からは象の鼻、五湖の向うにはエエイシレド岬が見えるかも…という期待もしてみたのだが、地図を見てどう考えてみてもその可能性はかなり低い。そう判断した。
知床五湖から先の北へは、途中までは林道もあるが、ほとんど人間が入れないところである。したがって、岬に名前がつくこともないので、先端の知床岬までは岬はない。
知床岬へは、前項でふれた遊覧船に乗る以外に近くで見る方法がない。午前10時に1便だけ出るこれに乗るには、ほぼ1日仕事になる。
今回は、とりあえず紋別付近からの遠望で、いちおう記録に留めておくことにしよう。
知床半島の岬は、ほかにもうひとつある。ポロモイ岳の東にあるペキンノ鼻。これは半島東海岸では唯一の岬なのだが、知床岬から東海岸を10キロほど下ったところなのでここも道がないし、こちらには遊覧船もない。
こういうところは、最後まで行けない岬になって残ってしまう。
JR釧網線の知床斜里駅から知床五湖を往復する、1日1便の斜里バスが、五湖観光を終えた乗客を乗せて戻ってくるのを、知床自然センター前のバス停でつかまえて乗り込むと、ウトロから乗ってきた同じ面々が揃っている。1日1便なのだから、みんな同じバスに乗らないと行けないし帰ってもこられない。当然である。
そのなかに、ぱっと見には日本人だが日本語を解さない大男の二人連れがいた。言葉からすると、どうも中国人らしい。ウトロで降りたのでここで一泊するのだろう。
遠軽から網走へ行く途中の特急「オホーツク」の車中でも、やはり中国人らしいカップルがいたし、若い女性の一人旅も見かけたし、グループもあちこちにいた。話しているところを聞くと中国人かなと思うだけで、台湾の人なのか大陸の人なのかはわからない。少し前までは、身なりのこざっぱりしたのが台湾で、そうでもないのが大陸という微妙な線引きもできたのだが、この頃ではまるで区別がつかない。
外国人に人気の観光地と言われる北海道だが、ツアーの団体ではなくても個人がこんなとこまでやってくるんだと、ちょっと驚いた。
少し前、ネット記事の中でなるほどやっぱりそうだろうねと思ったのがあって、要点をメモしていた。だが、誰が言ったのかをメモっていなくて失礼するのだが、それによると「日中間の歴史問題がもたらす固定観念は、中国人の日本に対する第一印象に影響してはいる」という。それは、当然そうだろう。それに彼の国ではこども時代から徹底的な反日教育(日本=悪者)を吹き込まれて大人になる。
しかしながら、現実的には「日本がアジアで唯一の先進国だということに対して、中国人は複雑な思いを持っている」というのだ。それもそうだろうと…。教えられてきたこととのギャップも大きいことを感じるはずだ。
だから、多くの中国人が「日本を知りたい、実際に行って見てみたいという強い思いを抱いていて、日本に対する関心を高めている」とだいたいそのような話だった。
そんなことを考えていると、まだ日本人の中国旅行が制限されていた時期に、一度だけ中国へ行ったときのことを思い出した。最後の訪問地の上海で、ついてくれた通訳の青年が、「私たちは日本からもっともっと学びたい。いつかきっと日本へ行きたいのだ」と語っていたのを…。
きっと彼も、もうとうに日本に来たことだろう。そして、その日本観も変わっているもだろう。
▼国土地理院 「地理院地図」
44度6分17.77秒 145度1分35.50秒 44度8分10.57秒 145度4分47.84秒 44度20分40.11秒 145度19分48.09秒
北海道地方(2014/09/28訪問)
タグ:北海道
ブラタモリではときどき岬が出てきますが dendenmushi さんのブログを思い出します。
昨日は 知床編。
大変行きづらいところだということを再確認しました。
また 森繁久弥さんの唄の力の大きさを思いました。
by ハマコウ (2016-11-20 13:19)
@ハマコウさん、どういうわけかあの番組は見たことがないんです。へそまがりのせいもあるけど…。まあ、NHKならどこへでも行けますけどね。
今度はぜひ遊覧船で、知床の先端部までは行きたいとは思っているのですが…。
しかし、この知床自然センターまで行っただけでも、交通不便と半島の大きさはいやおうなく実感しました。
by dendenmushi (2016-11-21 08:08)