1158 ウエンヒラリ岬=紋別市真砂町5丁目3(北海道)“悪い崖の高台”ではコンクリート護岸の工事が進んでいる最中 [岬めぐり]
チカプノツ岬の表記は、地理院地図でも縮尺が500mと示される大きさでないと出てこない。目盛一つ上の縮尺が1000mの地図になると、チカプノツ岬の名は消えてしまうが、ウエンヒラリ岬の表記はある。ウエンヒラリ岬と紋別港の弁天岬の表記は、縮尺が4kmの地図まで出てくる。
このことからも、チカプノツ岬のほうはだんだん影が薄くなっているようで、ネット情報にはチカプノツ岬をウエンヒラリ岬だと誤認しているものもある。その所在も、北浜町ではなく真砂町である。
チカプノツ岬とウエンヒラリ岬の違いは、前者は丸い護岸で、後者はごつごつした岩場がある。ところが、その岬の周辺では、大々的に護岸工事が進んでいる最中だった。
それもあって、あまりそばまでは寄れなかったが、この様子ではウエンヒラリ岬もコンクリート護岸で固められることになりそうだ。この工事が完成して終わると、チカプノツ岬とウエンヒラリ岬は同じようになってしまうのかもしれない。
岬の上は、工事中でもあり歩くことができなかったが、工事が終わると通れるようになるのだろうか。周囲は、漁協の関係施設のようなものなど、大きな建物が建ってふさいでいた。
ウエンヒラリは、「wen-pira-ri=悪い崖の高台」の意味だというのだが、何が悪いのかよくわからない。きっと歓迎すべからざるできごとがあった、その記憶を留めたのだろう。「1154 音稲府岬」の項では“ウエンコタン”というのもあって、その名は道内各地にある。“悪い”というのをわざわざ地名などに残すというのも、現代人ならなるべく避けるところだが、アイヌとしてはそうすることで情報伝達をはかろうとしたのではないか。
では、“崖”と“高台”は、いったいどこにあるのだろう。海岸は低く、周囲を見回わしても、崖も高台もそれらしい場所は見当たらない。
真砂町という町名がここから南に続いていて、そこから内陸には潮見町という町名につながっている。そのなかには、細い水流も地図上に残っているので、でんでんむし得意の揣摩憶測をフル動員してみる。
現在は市街化で埋立てられたか暗渠になってしまったが、二本の道路が海岸の細い水流からつながっていて、ここに川が流れていたことを暗示している。そして、その川が突き当たるところが、紋別公園から降りてくる“高台”である。おそらく、そこには“崖”もあったのだろう。
そうすると、川の周囲に陸地が広がっていく前には、真砂町は砂浜が多かったと想像されるし、潮見町は海を見渡せるところであったとも考えられる。
つまり、アイヌの人々が“ウエンヒラリ”と呼んだ頃には、ウエンヒラリ岬と南の弁天岬の間は、入江のように凹んでいて、和人が集落をつくる頃までそれは継承され、ウエンヒラリ岬はちゃんと岬の姿を示していたのではないか、と…。
こういうときは、少なくとも江戸期までなら遡ることができる伊能図を参照してみるのも参考になるだろう。そう思って、また伊能図を引っ張り出してみる。北西の沢木の日出岬は岩の出っ張りとして描かれ、中程のサルル岬は幅のある岩場として描かれている。
そして、南東ではショコツ川から大きく丸く飛び出たチカプノツ岬の表記がある。伊能中図ではウエンヒラリ岬の記述はないが、その付近から現在の弁天岬の辺りまでは岩場の固まりとして描かれている。
しかも、ウエンヒラリ岬のところでは、ごく小さいながら明らかに入江のように海岸が凹んでいるのだ。
現代の地理院地図で縮尺の近いものを並べてみる。
なお、ウエンヒラリ岬には、人をだますカワウソの伝説があるとする情報もあるが、これらは和人が本土の説話をそのまま持ち込んだものとみて間違いないので、あまり真面目に信用しないほうがよかろう。
ここから、東の遠くには、知床半島の影がはっきりと見えてくる。
▼国土地理院 「地理院地図」
44.364647, 143.354785
北海道地方(2014/09/28訪問)
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