1156 沙留岬=紋別郡興部町沙留(北海道)長〜い砂浜の海岸線のなかにぽつんとあるコブは東が岩礁なので… [岬めぐり]
興部町の南に位置する沙留(さるる)は、オホーツクラインの真っすぐな海岸線にできたコブのような固まりで、そのうえに集落ができ、東の付け根には漁港ができている。
コブの西北の先端が沙留岬で、そこだけまたちょこんと飛び出ていて、岬と漁港の間が緩くカーブしながらでこぼこの岩礁地帯が続く。地理院地図ではその岩礁から岬にかけての沖合に、黒い点々が破線のように描かれている。波除けプロックかなにか、そんなようにも見えるが、その正体は定かでない。
沙留岬の周辺は、ここもまたキャンプ場になっているようだ。北海道にはキャンプ場が多い。それがなくても、そこいらじゅうでキャンプができそうな北海道だからこそ、キャンプする場所を設けてその場所を限定する必要があるのかも知れない。
興部の市街地を出て、国道を南東へ向いて走る北紋バスは、前方に掲げられている運賃表示板に先のバス停留所も順に表示されるので、初めて乗る客も、いまどの辺を走っているのか、次はどこに停まるのか、自分の降りる停留所はどのあたりになるのか、そんな様子がわかって安心できる。
藻興部川と瑠橡川を越えて、単調な海岸を真っすぐに進む。途中にウシさんたちが寝そべっている間を走る道路は、いくぶんか内陸寄りになっていて、海が少々遠い。
沙留岬も低くて平たい岬のようなので、遠慮がちにちょっとしか姿を現わそうとしない。
いかにも北海道らしい、広々とした牧草地が海まで続き、海岸や土地の境界らしいところにだけ植生が仕切りをつくっている。バスが進むにつれて、沙留の町が大きくなってくるが、岬の見え方には大きな変化がない。
アイヌ語の「サル・オロ=葦がたくさん生えている原」から転訛したのがこの町の名前だという沙留は、ケガニやホタテで沙留産ブランドもあるらしい。漁業を生業とする者が集って、集落ができたのだろうと想像できる町の中に、バスが入っていく。
岬と漁港の間に固まっている集落の東側は、堅い岩礁の海岸であるから、砂地の真っすぐな海岸線のなかでは、この場所が最も安全そうな、暮しの拠点とするにはふさわしい所だと判断されたのだろう。
この堅い海岸から少し入ったところに、かつての名寄本線の沙留駅はあったのだろう。そのまた少し内側には小学校があり、神社マークがある。これが沙留神社なのであろう。
沙留の情報もほとんどないのだが、沙留神社についての北海道神社庁の記録があった。
それによると、明治27年頃にこの地で漁場を開いた人が、丘の上に杭碑を建て天照大神を奉祀したのが始まりだという。故郷を遠く離れて、北国のこの地にやってきて、ここを生活の場所と定めた人々の心の寄りどころの中心として祭祀を続けてきたものであろう。昭和17年には、漁業と海上安全の守護神である広島の厳島神社に三人の代表が出向き、分霊を受けて奉斎しているのだという。確かに、北海道にも厳島神社という表記があるのをよく見かける。ここもその表記はないが市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀っているのだ。
この沙留神社の短い記録からも、なにもない蝦夷地に徐々に人間の(和人の)足跡が刻まれていく過程を想像することができる。
和人の開拓者がやってくるその前から、アイヌの人々が、“葦がたくさん生えている原”と呼んでいたのは、沙留の町のもっと南から、北に向いて流れてくる沙留川の河口付近のことだろうと思われる。
沙留漁港の南に注ぎ出る沙留川を渡るときに、バス車窓の反対側には、その“葦がたくさん生えている原”の現在の姿が広がっていたはずなのだろうが、岬めぐりではどうしても海のほうばかりに気をとられてしまうので、それは見逃してしまった。
真っすぐ走るバスの車窓から振り返ると、砂浜の長い海岸線に、そこだけ偶然に飛び出た岩礁のお陰で、ぽっこりとできてしまった沙留のコブがだんだん遠ざかっていく。
オムシャリ沼を過ぎると、興部町が終わり、紋別市に入っていく。
▼国土地理院 「地理院地図」
44.440914, 143.222921
北海道地方(2014/09/28訪問)
タグ:北海道
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