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番外:おこっぺ道の駅とある軌跡=紋別郡興部町興部(北海道)夢と希望をレールにのせてはきたものの… [番外]

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 「人口5,000人程、牛の数は12,000頭、コンビニ2件、映画館はナシ。でも海水浴場に、ナイターが楽しめる野球場、冬でも遊べるテニスコート・ゲートボール場などもあります。」そう紹介をする“おこっぺファンくらぶ”や、130号を超えて続いている“町長日誌”など、なかなかユニークで一生懸命な町のホームページをもつ興部町は、最新(2014年09月)のデータでは男性2,003人、女性2,126人の計4,129人、世帯数は1,875戸となっていて、やはり過疎化に歯止めがかからないようだ。
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 町の花は「ハマナス」で、町の木は「ナナカマド」というこの町は、宝永年間に松前藩の漁場として支配したというが、明治22年になって初めて沙留に和人が定住し、同31年に石川、高知、富山などの各県から入地者が来住して本格的に開発が進められた、と町のホームページは語る。
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 なお続けて、明治42年に雄武からは字興部を、紋別からは字沙留、ルロチの2か村を分割併合して、興部村外2か村長役場が設置され、大正4年に北海道2級町村制が施行されて興部村となった。大正10年には国鉄名寄本線が全通し、農業、林業、漁業の飛躍的発展をみるに至り、大正14年興部村から西興部村を分村したものの、農林漁業の発展とともに商工業も次第に発展し、昭和26年に町制が施行されて今日に至っている、と町の沿革はいうのだ。
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 興部を「おこっぺ」とはなかなか読めない名前の由来は、当然これもアイヌ語で、「オウコッペ=川尻の合流しているところ」の意味からだという。
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 その川とは興部川と藻興部川だと町ではいうのだが、地図でみるとこの二本の川の間には、比較的大きな丘陵が海まで延びており、合流するところはないようにみえる。むしろ、藻興部川と南の瑠橡(るろち)川のほうが河口が近いうえに、地形をみると河床の跡らしい場所もある。
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 だが、それと同様に興部川と藻興部川の間も、そうでなかったとも言い切れない。おそらくは、海岸の砂丘が盛り上がって川の流れを変えていた時期があったのだろう。
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 前の項でもふれたように、オホーツクの岬めぐりの初日は、東京から旭川までJRに乗りっぱなしでやってくるのがやっと。見事に近代化されきれいな旭川駅にはちょっと驚いた。昔、旭川にも降りて泊まったこともあるのだが、そのときの記憶ももう薄れている。
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 その翌日に旭川から早朝の宗谷本線に乗って、降りたのは名寄。ここは地図で名前だけは知っているところだが、今はなくなっている名寄本線の跡を、天北国道という名もある国道293号線を、名寄から下川、天北峠を越えて西興部村を経て興部まで、名土バスでやってきた。
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 興部のバス停も、かつての名寄本線と興浜南線の駅だった広い場所の一角に、こじんまりとくっついていて、赤レンガのインフォメーションセンターと記念館を兼ねた建物や道の駅やらがある。
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 1921(大正10)年に名寄本線が、そして1935(昭和10)年には興部駅=雄武駅間の興浜南線が、それぞれかなり早い時期から開通していたこともあって、この町にとって鉄道が廃線となることは、まさに死活問題であったのだろう。「オホーツク本線敷設構想」を掲げるなど、雄武町を含む沿線自治体町や地域ぐるみで存続運動を展開したが、1980(昭和55)年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、興浜南線は1985(昭和60)年に、名寄本線は1989(平成1)年に廃止されてしまった。okoppe-7.jpg
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 おこっぺ道の駅周辺とバス停の待合室を兼ねた記念展示は、その廃線がいかにこの地域の人々にとって切ないものであったか、を伝えてくれる。
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 赤レンガの前のガラス板に彫り込まれた「夢と希望をレールにのせて 名寄本線・興浜南線……永遠の軌跡」という一文からも、それが、ひしひしと伝わってくるような気がした。
 
  興部町に初めて鉄道が敷かれたのは大正10年…
  生きることも厳しかったこの地方に、鉄道は夢と希望、そして繁栄を運んできた。
  そして、それはオホーツクラインを鉄道で結びたいという願いとなって興浜線へと広がっていったが、果たせないまま昭和60年興浜南線は終わりを告げた。
  レールの響きとともに人々の生活と深く結びつき、歴史が静かに刻まれていった名寄本線も、時代の流れの中で「廃止」とのたたかいがはじまったのである。まさに“生命線”と呼ばれ、誰もがその存続を願い、必至の思いで運動が展開された。
  しかし、住民の願いもむなしく、1989年4月30日名寄本線廃止の日を最後に、地域の発展につくし住民の哀歓を運び続けた鉄道はその姿を消した。
  68年間、夢と希望をレールにのせて、くらしに活力を与え続けてきた名寄本線……その功績は大きく、永遠に消えることなく、いつまでも私たちの心の中で走り続けるだろう。
  鉄道と共に歩んだ先人たちの功績を讃え、その英知と力を学び、希望ある未来へと前進していくことを願いつつ、ここに力強くも美しい名寄本線・興浜南線の姿を永遠にとどめる。

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▼国土地理院 「地理院地図」
44.469425, 143.117779
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dendenmushi.gif北海道地方(2014/09/27,28訪問)

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タグ:北海道
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