1155 日の出岬=紋別郡雄武町沢木(北海道)“おむ”といい“おむい”という“おうむ”町の南の外れの沢木に温泉と日の出の岬 [岬めぐり]
雄武と興部の間の旧興浜南線が走っていた区間も、バスで往復したことになるのだが、この区間のバスは北紋バスである。日の出岬では、北紋バスは国道から海寄りの脇道に入り、岬をぐるっと回ってからまた国道に戻るように路線が敷かれている。
この付近ではひときわ目立って大きく飛び出しいる日の出岬は、国道からは1.4キロくらい突き出ていて、裾の両端に沢木と元沢木というふたつの集落をともなっている。その端と端の間も2キロほどで、ちょうど二等辺三角形のようになっているが、形は不整形で先端はふたつに割れていて、北のほうに日の出岬の表記がある。
北側の裾で元沢木川を挟んで集っているのが元沢木の集落で、南側の漁港も郵便局も学校もあるほうが新沢木であるが、バス停にも郵便局にも学校にも“新”はついていない。
こうした例は、各地にありそうだが、元々の集落の発祥地とその後の集落の発展の仕方によっては、中心地が周辺の他所へ移ってしまう、というケースがある。この沢木もそうらしい。ここでは、また推測なので当たるも当たらぬも八卦だが、そもそもは川の水利が重視されて北側の集落が発達したが、やがて漁労が生活の中心となると、岬の出っ張りが風よけに使える南側に集落の中心が移っていった、そのようにも考えられる。
元沢木から、標高30メートルほどの岬の北側海岸に入っていくと、前方に岬が見えてくる。日の出岬は岩の塊がしゃもじのような形になっていて、先端には展望台もある。この出っ張りには、キャンプ場もあり、夏は海水浴場になり、レストハウスのようなものもあるので、いちおう人が集るところであるらしい。
そこに温泉が湧いたらしい。平成6年から日の出岬で町が始めた温泉掘削では半年後に待望の温泉が湧き出したというのだが、その温泉は“オホーツクオムイ温泉”という。
国土地理院の地図では、ふたつも温泉マークがつけられていて、そのひとつは立派で大きな温泉リゾートホテルになっている。これは、ホームぺージでみるとおそらくオホーツクでいちばんではないかというような施設であるが、町の入浴設備は別にあるのかどうかなど町との関わり方は不明。
実は、当初はそこに泊まることも考えたのだが、ちょうど週末にあたっていてカップルなどで繁盛しているらしく、一人では泊めてくれないのだ。
ホテルの前は、道もきれいに整備されていて、そこからは元沢木が、そしてその向うには雄武の町がある。
地理院地図でみると、国道のほうは元沢木から新沢木まで、岬の尾根を開削して直線で伸びていて、それでちょうどぶった切られた尾根の頂きに、神社のマークがひとつあって、そこへの道も描かれている。
この神社こそが、ふたつに離れた沢木の集落をつないできた存在であったのだろう。いったいどんな神様が、その役目を担ってきたのだろうか。
蝦夷地が「北海道」となった3年後の記録では、北見国紋別郡10か所村の中に 「サワキ村」「ヲム村」「ホロナイ村」が誕生したとあり、“おうむ”が古くは“おむ”であったことを留めている。興部村が分村独立した明治42年当時には、雄武村338戸、幌内村137戸、沢木村40戸であったというから、沢木はやはり外れの寒村だったのだろう。
ここでも往復の写真が混じるが、岬の先端から道は東の海岸に出る。東側の出っ張りは、日の出岬よりは小さくその手前に張り出していて、その南の岬の袂に漁港ができている。この漁港も、かつてはニシン漁で活況を呈していたのだろう。
漁港の背景に大きく飛び出ているように見えるのは、沙留岬であろう。これも見た目と地図のズレなのだろうが、雄武町の沢木漁港から興部町の沙留岬までは16キロ、ほぼ直線の海岸線が続いているはずなのだが…。
早朝に雄武を出発した北紋バスは、オホーツク海に上る朝日を浴びながら、日の出岬を後にする。日の出はオホーツクの海岸のどこから見ても同じはずなのだが、単調な長い海岸線でそこだけぴょこんと飛び出たところに、わざわざ「日の出岬」と名前をつける。人間の精神活動プラスαの不思議なところである。
▼国土地理院 「地理院地図」
44.531733, 143.062327
北海道地方(2014/09/27訪問)
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