1152 ウスタイベ岬=枝幸郡枝幸町岬町(北海道)アイヌ語で岬の意味がある枝幸町の岬町の岬はバス車窓からはちょっとだけ [岬めぐり]
枝幸町(えさしちょう)は、同音の読みで渡島半島に江差町があるので、言葉で表現するときには「北見枝幸」と「檜山江差」と区別されることがあるが、相互に関係はないらしい。
北海道最北端の宗谷総合振興局管内の南端にある枝幸町は、管内では面積はいちばん広いが、それは山側の歌登町と平成18年に合併しているからだろう。2014年の住民基本台帳人口は8,867人で、人口密度は7.95人/km²である。
町名の由来については、枝幸町ではアイヌ語の 「esausi=エサウシ(岬の意)」によるという。ほらね、また岬だ。
以前に、「1145 「兵庫崎=佐渡市虫崎(新潟県)」の項 で、虫崎に関連して「アイヌ語源などでは、岬に類する意味を持つ表現が、やたら多いように思えるのだが、それはいったいどうしてなのだろうか。」と書いていた。それについて、例によって ChinchikoPapa さんから次のようなコメントをいただいていた。
アイヌ語では地形や環境をもとに地名表現をするケースが多いので、いまの北海道でも見られるように、一般名詞ではなく「固有名詞」として記録される場合が多いですね。それは、近接する地名が同一では、区別が困難だという理由もあったのでしょう。日本語でトンボロのことを、その形に応じて「砂嘴」「橋立」「砂州」……といろいろな表現をするのと同じではないかと。(2014-09-26)
「地名アイヌ語小辞典」(知里真志保)では、esasi はナヨロ(名寄)地方のアイヌ方言だとしているというから、いろんな表現に加えて、方言というのもあったわけだ。
枝幸の市街地の北に飛び出ているウスタイベ岬も、もちろんアイヌ語源で、これは「ウシタイペ=入江の林の川」 の意だという。ところが、ここもまた、入江らしい入江もなければ川もないときている。
だが、北の大地の先住民たちが、いいかげんな名をつけるはずはない。そう考えて地図を眺める高度をもっと上げてみる。
すると、市街地の南にエサシウエンナイ川という川があり、国道238号線は現在の市街地を迂回して山寄りに弧を描いている。なるほど、枝幸の平坦な市街地は、後世の埋立と低湿地帯が乾燥していって徐々にできてきた陸地ではないのか。そうだとすれば、元はここが丸い入江だったことになるのだが…。と、勝手な憶測をしてみるのは楽しい。
浜頓別から北見枝幸までは、興浜北線という線路があったことは、前項でふれたが、その北見枝幸の駅はどこにあったのだろうか。枝幸の町は、バスターミナルで宗谷バスの南北ふたつの路線を乗継いだだけで、うろうろすることもできなかったが、どうやらそのバスターミナル付近がそうだったのだろう。
乗った宗谷バスの南北ふたつの路線というのは、枝幸=神威岬、枝幸=雄武(おうむ)の区間で、それぞれ往復した。どちらも、同じ運転手さんだった。宗谷バスの路線エリアでは、最南端の路線になる、枝幸=雄武の運転手さんは女性だった。
さて、ウスタイベ岬だが、バスが走る国道からは、よく見えなかった。
岬自体が比較的大きく、住宅なども建て込んでいるので、展望が利かないのだ。ほんのわずかに、その名も“岬町”というところから海のほうへ行く道路の切れ目から、岬の先端がちょっとだけ…。
岬の北側にも道があって、そこには「千畳岩」という大きな観光看板があったし、バス停も「千畳岩入口」となっていて、ウスタイベという岬の名よりも観光地としての千畳岩のほうが定着しているようだ。
キャンプ場などもあるここは、よくある「千畳敷」と同じ意味で、広くて平坦な岩場が展開しているようだ。
北側を走るバスの車窓からの眺めで、やっとそれらしいところもちょっとだけ見えたので、これくらいでまあいいとしておこう。
▼国土地理院 「地理院地図」
44.961182, 142.583912
北海道地方(2014/09/27訪問)
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