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1148 坊ヶ崎=佐渡市玉崎(新潟県)ほとんど目立たない玉崎の坊ヶ崎は小高い丘のふくらみだがその上には城郭遺跡も [岬めぐり]

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 浦川の南にある集落が平松で、そこからまた平松トンネルで善法寺岩を過ぎると、北松ヶ崎という集落になる。この付近はいくらかのでこぼこはあるにもかかわらず岬の名はない。
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 馬首、和木ときてやっと坊ヶ崎。ここの地名は玉崎で、玉崎という岬も別にあって、それはほとんど坊ヶ崎とくっついている。つまり、同じ玉崎という地域の海岸に、坊ヶ崎と玉崎と、ふたつの岬名が接近して並んでいる。
 坊ヶ崎も玉崎も、地理院地図では明らかに岬名表示と思えるのだが、ここはほとんど出っ張ってもいなければ、飛び出してもいないのだ。ここを岬と呼ぶならば、北松ヶ崎や馬首の道がカーブしているところのほうが、はるかに岬というにふさわしい。
 なんだか、訳わからなくなりそうだが、こういうところにはきっとなにかあることが多い。
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 平地が少なく、人が住み着くには好条件とは言えそうにないのが、これまで通ってきた内海府海岸なのだが、宮ノ崎の台地を中心とする浦川地区には、縄文から弥生にかけての遺跡がいくつもあるらしい。
 また、玉崎の南の白瀬地区にも、同様の遺跡が散在しているという。
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 この付近から南の両津にかけては、だんだんと居住適の地帯に入っていき、人家も多くなる。
 坊ヶ崎は、45メートルほどの小さな尾根が南にのびているところで、地図でみると、確かにわずかに西へ向いて道は曲がっていく。
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 やはり、山と海の間に挟まれた道路であるが、この右手の岡の上には玉崎城の遺跡もあるという。
 この城は、中世梅津渋谷氏関連の土豪の城であったものだろう。佐渡は20家を数える地頭が、それぞれの地域を分国支配していたものだろうが、そのうちでは本間氏の勢力が13と抜きん出ている。主に南部を拠点としていた本間氏に対して、加茂湖の北を中心に勢力をもっていたのが渋谷氏の4家である。加茂、羽黒、梅津、歌代がその4家の名前だが、その名はいずれも加茂湖の北〜両津火力発電所あたり一帯に今も地名・旧字地名として残っている。
 「佐渡風土記」にはその他の地頭として「石花」氏の名もあげている。カメノテの石花も、どうやらその地の地頭の名だったらしい。
 鎌倉時代に、佐渡で勢力を張っていたこれらの豪族は、やがて足利尊氏の勢力が佐渡にも及ぶに至って、消えていくことになる。
 中世の常識からすれば、こういう場所は要害の地として、城を置く必要があった場所なのだろう。
 お坊さんがいたようなお寺は少なくとも地理院地図にはないが、古そうな神社はこの「岬」の先端部に残っている。
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 坊ヶ崎には、“両津港まで10Km”を示す青い看板標識がある。
 いよいよ、佐渡島一周の岬めぐりも、両津から始まって、時計回りに島を回ってきてその輪を閉じる大団円である。
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▼国土地理院 「地理院地図」
38.159181, 138.459631
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dendenmushi.gif信越地方(2014/05/18訪問)

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タグ:新潟県
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