1145 兵庫崎=佐渡市虫崎(新潟県)ほとんど出っ張りも目立たないこの付近の海岸ではふたつも岬の名をかかえるが… [岬めぐり]

虫崎トンネルが開通したのは、1962年(昭和37)年のことであるが、これが通じる以前は、親不知・子不知といわれた海岸の難所を渡って、北小浦との往来をしていたことになる。

親不知・子不知の名を今に残す地名も全国各地に多いが、それらはみな道路が不完全な時代の名残だとみて相違あるまい。虫崎ではその名はもう消えているが、文政年間に小泉善之助という人が残した記録には、「親不知、子不知とて岩根伝拾間余此所浪静な時にても浪打かかり少し風立候ては通路相成ず」とあったという。

虫崎トンネルのある場所は、古川が流れる谷の南に、長く張り出してきた尾根があって、その先が崖になって海に落ちている。虫崎という岬になって残っていないのが、ちょっと残念なような…。

虫崎トンネルの尾根が岬になれなかったのは、ほぼ真っすぐに近くてでこぼこの少ない内海府海岸では、長手鼻寄りに遠慮してわざわざ身を引いたような地形で、まったく目立たないからだろう。
だが、虫崎はトンネルのある尾根ばかりではない。虫崎という地名・住所表示は北小浦と黒姫の間で、広く展開している。その範囲は、北はトンネルの北の谷の古川を境として、南は内海府トンネルの入口付近まで、3キロ以上は虫崎の海岸線が続いているのだ。

そして、その間には、弁天岩とか、松島とか、三ッ石岩とかいった名も地図には記されており、兵庫崎と殿崎もその南部に位置している。
こうなると、かつては“虫崎”という岬が、実際にこの付近のどこかにあったのではないかという勝手な想定は、どうも説得力がなくなってくるようだ。
そうすると、虫崎というおもしろい名前は、どこからきたのだろうか。こういう場合、たいていはアイヌ語源や縄文の古語などに行き着いて終わるのが常で、ここでもムシザキはmu-si-san-keyで、塞がった大きな出崎(前に出た頭)、mur-si-san-key 岡の大きな出崎というような説明をしている情報がある。
しかし、そうしてみるとアイヌ語源などでは、岬に類する意味を持つ表現が、やたら多いように思えるのだが、それはいったいどうしてなのだろうか。

困ったことは、先にも述べたように、この付近一帯の海岸線では、ほとんど出崎というにふさわしい地形が、どこにもないことなのである。
兵庫崎にしてからが、幡黒平の山裾が北にゆっくりと下りてくる端っこで、丸く膨らんでいるという程度でなので、バスでそこを走っていても、まず普通は気もつかずに通り過ぎてしまうだろう。そんなところである。

虫崎と名のつく地域の中心は、この兵庫崎をくるっと回り込んだところにある集落…。

…のはずだが、これもまたほとんど家並みの印象も希薄である。先の小泉記録がいう、「当村海際、貧村に相見へ家の後ろ直に山、浪打ち際より家まで四間ばかりの石浜」という状況は、道路が広く通っている以外はあまり変わりがないようだ。
平成22年のデータでは、新潟県佐渡市虫崎の人口は、男性9人、女性13人の計22人で、世帯数は12軒である。
それよりもなによりも、ここの「兵庫」とはいったい…なんでしょうね?

▼国土地理院 「地理院地図」
38.250111, 138.506189




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