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1929☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? 
 これは、過去からこれまでの人類の永遠の疑問のように思えます。人びとは、この疑問に解を見出そうと、叡智を絞ってきました。
 その結果、宗教が生まれ、哲学が発達し、さまざまな歴史が記され、宇宙や地球の謎が解かれてきました。人類が築いた学問体系とは、結局は、冒頭の疑問に取り組んできた成果なのだと思います。(池上 彰『おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』序章冒頭 NHK出版新書 2014/04 刊)
 
❖年表ネタ元主な参考資料:三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

1929mark.jpg昭和4年 己巳(つちのとみ)
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◯ユーゴ国王アレクサンデル、憲法停止、議会解散で独裁制を宣言。
◯スペインでリベラ政権に対する軍事暴動。
◯ソ連、トロツキーを国外追放。
◯ソ連・ポーランド・ルーマニア・エストニア・ラトビアの相互不可侵条約。
◯伊ムッソリーニがバチカン市国の独立を承認。教皇と政教条約。
◯ブルガリア・トルコ友好条約。
◯チリ・ペルーが国境協定。
◯独ヒトラーがドイツ賠償ヤング案に対する反対運動を開始。
◯ドイツ賠償ヤング案を審議するハーグ会議開催。
◯独は同案を承認し、連合国はラインラント撤兵を開始。
◯仏外相がヨーロッパ連邦案を国際連盟に図るがまとまらず。
◯英労働党政権が対ソ国交回復。
◯ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落。(暗黒の木曜日)。
◯世界恐慌始まる。
◯独人民投票でヤング案を支持。
◯ハイチで反米暴動。米軍派遣。
◯英フレミングがペニシリンを発見。
◯インド、ポンペイでヒンズー教徒とイスラム教徒の衝突事件。
◯エルサレムで、ユダヤ人とアラブ人が対決。“嘆きの壁事件”勃発。

◯国民党軍が井岡山の中共軍を攻撃。
◯朱徳・毛沢東らの中共軍が、井岡山を出て江西、福建に進出。
◯広西軍閥が反蒋介石運動、湖南に進軍。蒋介石が討伐令。
◯日本軍が山東から撤兵。
◯張学良の官憲がハルピンのソ連領事館を強制捜索。北満鉄道を強行回収。
◯ソ連が国交断絶を通告、ソ連軍が満州各地を占領。
◯蒋介石が地方軍の縮小を図り、各地で反蒋運動激化。
◯周口店で北京原人頭骨が発見される。
◯張学良がソ連とハバロフスク協定、北満鉄道の管理権を認める。

◉民政党の中野正剛が、張作霖爆殺事件を追求。
◉労農党代議士山本宣治が暗殺される。
◉日本共産党員の一斉大検挙(4.16事件)。起訴339人。幹部多数が検挙され、壊滅的打撃。
◉中国国民政府を正式に承認。
◉枢密院が不戦条約を留保宣言付きで認める。
◉学生の思想調査のため文部省に学生部を置く。
◉政府が張作霖爆殺事件の処分で、軍部の抵抗で日本人は事件に関係なしとする。守備上の責任の行政処分のみで終わらせる。
◉この処分について、天皇が田中義一首相を叱責。
◉田中内閣総辞職、民政党浜口雄幸内閣が成立。対華外交刷新、緊縮財政、金解禁などの政策を打ち出す。
◉憲兵司令部、思想対策強化のため思想研究班を設置。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。山本宣治。後藤新平。内田魯庵。津田梅子。田中義一。岸田劉生。沢田正二郎。アーネスト・サトウ。ハーマン・ホレリス。フランツ・ローゼンツヴァイク。

◎大学卒業者の就職難が深刻化。東大卒の就職率30%。
◎初の本格的ターミナルデパート、阪急百貨店が大阪梅田に開店。
◎日本航空輸送が、東京=大阪=福岡間の定期旅客便を運行開始。
◎教員の俸給不払い、減俸、馘首が全国的に拡大。
◎独の飛行船ツエッペリン伯号が霞ヶ浦に到着。
◎北海道鉄道疑獄、売勲疑獄、私鉄疑獄、朝鮮疑獄などの事件。
◎小西本店が初の国産写真フィルム「さくらフィルム」発売。
◎官吏の一割減俸を発表するも、東京の検事60人がこれに反対し、閣議で減俸を撤回。
◎東京駅に八重洲口開設。
◎上越線清水トンネルの開通。全長9.7キロ。
◎東京市で大砲による時報「ドン」(半ドン)が廃止。サイレンとなる。
◎宮城気仙沼町1000戸、茨城石岡町1500戸、岐阜船津町1200戸の大火。
◎台風が日本全土を襲う。死者行方不明者160余人。
◎国鉄ダイヤ改正(列車増発・時間短縮)、「富士」「櫻」など列車愛称始まる。
◎日本郵船の「氷川丸」が横浜ドックで進水。サンフランシスコ航路に「浅間丸」1万6947トンを就航。
◎山手線、中央線の運転間隔が3分になる。
◎三省堂『コンサイス英和辞典』刊。2円30銭。
◎国鉄が神奈川県逗子市に「海の家」開設、乗車券とセットの入場券を売りだす。
◎東京新宿武蔵野館の楽士が、トーキーで解雇反対の争議。
◎講談社『少年倶楽部』が50万部を超える。この後も毎年部数を伸ばす。
◎さるがシンバルを打ち鳴らすおもちゃ登場。
◎島崎藤村『夜明け前』第一部を中央公論に連載。

■流 行:兎の襟巻き(狐の代用)・特売
■映 画:大学は出たけれど・生ける人形・進軍(米トーキー映画)
■ 本 :改造社/改造文庫・小林多喜二/蟹工船・レマルク/西部戦線異状なし・大仏次郎/赤穂浪士・
■ 歌 :東京行進曲・紅屋の娘・浪花小唄。童謡:鞠と殿さま・
■ことば:大学は出たけれど・緊縮・ターミナル


dendenmushi.gif(2014/08/22 でんでんむし蛇足の記)
 この年には、非常に重大なことがあった。おそらくは、その後の日本の命運を左右することになった。そう思われるのは、張作霖爆殺事件の大甘処分について天皇が自ら田中首相を叱責したことであり、そしてその後の対応である。
 田中は天皇に叱られたというので恐れ入ってすぐ内閣総辞職してしまうのだが、これがまず第一に対応として間違っている。天皇の意を汲んで、その処分を厳正なものに修正すべきであるのに、それをしなかった。後任の内閣もしなかった。つまり、誰も天皇の意思を尊重しようという受け止めをしなかったのである。
 逆に天皇は、自分が首相を叱責したため内閣総辞職になったうえ、田中本人もそれから3か月もしないうちに急死してしまったため、死に追いやる結果にもなったかもと、天皇のほうが責任を感じてしまう結果となる。
 このため、天皇に“以後は政府の方針や対応に不満があってもそれに口を出すのをやめようと決意”(後にそう周辺に語ったとされている)させることになってしまう。
 今日のニュースでは、昭和天皇の実録が黒塗りなしで公開されることが決まったという。このあたりの実相がどうであったのか、歴史のベールがまたひと層明確になるのだろうか。
 庶民は不況に喘いでいるのに、役人は減俸にも応ぜず撤回させ、政治家は疑獄まみれで警察や軍部はやりたい放題…。これじゃ国にいいわけないよ。
 祖父は43歳、祖母は31歳で、まだ子育ての真っ最中。やはり、この時代の幼児の死亡率も高かったようで、でんでんむしのおじさんになるはずだった人も、二人も広島で亡くなっていた。
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タグ:年表
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