1104 鴻ノ瀬鼻2=佐渡市松ヶ崎(新潟県)佐渡海峡に面する東南向きの海岸でここがいちばん膨らんでいるので… [岬めぐり]
その答えを探りだすヒントも、地図にある。
現在では、新潟と本土と佐渡島を結ぶ航路は、でんでんむしがやってきた新潟=両津のほかに、寺泊=赤泊の航路と、直江津=小木をつなぐ航路がある。
たらい舟ではないにせよ、動力船ができる前の海峡の往来は、大変なことであったろう。であれば、できるだけ海上は最短距離で行けるところを探すであろう。
では、その最短でつなげる場所はどこか。
新潟県本土の海岸線は、弥彦山の北の角田岬「291 角田岬=新潟市西蒲区角田浜(新潟県)越後の冬も雪も知らずして」 の灯台があるところへんが丸くなって張り出している。では、佐渡島のほうではというと、大地山の南でちょこんと出っ張っている。この両方を結ぶ線が、約31キロで最短距離となり、佐渡側のそのポイントが松ヶ崎だったのである。
そうだったのかぁ! そうだったんですね。それで、佐渡へ送られる流人もここに着いたり、ここから許されて帰っていったりしたわけだ。有名ドコロでは日蓮さんとか、世阿弥さんも…。
それならば、港がなくても砂浜があればいいわけで、別に島の賑やかなところである必要もない。鴻ノ瀬鼻という名前が定着したのがいつの頃かはわからないが、おそらくは波の動きと潮の流れが、ここに広い砂地と瀬をつくり、急峻なこの辺りでは舟を寄せるのにも都合がよかったのだろう。
舟番所ができ、島の玄関口としてのさまざまも必要になる。松ヶ崎の礎は、そのようにしてできたのだろう。
それにしても、流罪になって舟に揺られてやっと着いたのが、島のなかでもはずれのここだったら、かなり心細いことだったろう。
道筋に大きな石柱があって、“日蓮聖人御逗留霊木おけやき”とある。家並みの間から覗くと、奥にはケヤキの古木が鎮座している。そばにある立て札によると、1271(文永8)年に上人はここに上陸して一夜を過ごした。そのとき、空腹と疲労に堪えながらこの木の下で法華経を唱えていると、村の老婆から一碗の粥を恵まれたので、持っていた鍋と血曼荼羅を与えた、というのだ。
ただ、だんだんと往来が多くなると、より周囲が開けた赤泊のほうにその役割も移っていっただろう。松ヶ崎がターミナルとしてスポットを浴びた時期は、そう長くはなかったのではないか。
松ヶ崎の南では、従来の細い道路に代わる新しい橋の工事が進んでいた。その南では道路の拡幅工事も終わっている。
37.920356, 138.49931
信越地方(2014/05/15訪問)
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