1102 弁天岬=佐渡市東強清水(新潟県)佐渡の弁天その2はその1より一回り小ぶりでほかに八幡さん地蔵さん観音さんも [岬めぐり]
ほらね、さっそく「弁天その2」ですよ。なにか、前の弁天崎をずっと小型にしたような感じでもあって、ここも島が飛び出しているようだ。
長い尾根を道路でぶった切って、岬の先端だけが残るという形も、全国あちこちでよく見られるのだが、前の弁天崎もこの弁天岬も、それではなく当初から独立した島が陸地とくっついた形のようである。
野浦の次の集落は、東強清水(こわしみず)。地図ではほぼ真っ直ぐに見える海岸線にある、ちゃんとしたカーブのところに、小さな集落とバス停と弁天岬がある。
名前のとおり、清水が湧き出しているところがあるらしい。西に聳える山は600メートルくらいの高度しかないが、海から直立して長く山脈のように横たわっていて、結構深いから湧き水があっても不思議ではない。
監督署前から乗ってきた佐渡交通東海岸線のバスを、ここで降りる。
弁天岬の海岸は、石ころが目立つ。それもよく見ると、ずいぶんいろいろな石ころが混ざり合っている。コンクリートの護岸はまだ新しいようで、となるとこの石がこの場所の特徴かどうか怪しくなる。護岸工事のために、他所から運び込まれた石ころである可能性も否定できない。それでも、島の外からわざわざ石ころを運びこむことはしないだろう。いや、するのかな。
この世は、わからないことだらけだ。
弁天社は岬になっている島の上にあるらしいが、そこへ上る石段か道もあるにはあるものの、荒れたままである。道路脇には鳥居と村社があるが、これは八幡さんのようだ。立っている石標を見ると、昭和12年に東強清水婦人会が寄進した、とある。すごいな、婦人会。
その向かいには、地蔵堂か集会所のような何かもあって、これは現在も人が住んでいるか管理されているらしく、サトウハチローの「おかあさん」の詩(一時期サトウハチローの詩に凝ったことがあったので、これもよく知っている)や短冊に書かれた和歌などが掲げられている。その道路脇には、“佐渡西国一番東強清水観音入口”という標柱も立っている。
戸数もわずかな強清水の集落に、弁天さんと八幡さんと地蔵さんと観音さんが揃っている。
おそらくは、それもこの東強清水に限ったことではなく、佐渡の各地各集落に共通して言える、庶民の暮らしが積み重ねてきた歴史の厚みなのであろうか。ひとつ想像できることは、ほかではすべて消し去られてきたものの多くが、佐渡ではまだ残っているらしい、ということではないか。
弁天岬から北へ少し戻ってみる。城ヶ鼻が見えるところまで行ってみようと歩いたのだが、これは帰りのバスからもよく見えたので、必要なかった。
急な崖が落ちてきて、道路からすぐに海という地形が続くこの付近、電柱が道路より上のほうに並んでいるので、さては旧道を付け替えたのではないか。そう思って、上に上がれるところを探して登ってみると、やはり予想通り、旧道が一部残っていた。
下の新道ができたのも、そう昔のことではあるまい。細い簡易舗装の旧道しかなかった頃の東強清水の生活は、どんなだったのだろう。
だが、案外にバスの便は、現在よりも昔のほうがよかったのではあるまいか。新しい広い道路は、バスのためではないのだ。
東海岸線のバスは、一日に6本くらいしかない。その終点は赤泊よりはずっと北にある多田というところだが、ほとんどの便がそれよりもっと北の岩首までである。
さて、ここが思案の為所…。
バスで佐渡島の一周を企ててみたものの、この南部一帯ではバス路線が妙に細切れになっていて、それをつないでいくのがなかなかむずかしい。
東強清水でバスを降りたのも、ここから先、岩首まで行ったとしても、それまではまったく岬がないからである。
弁天岬から南へ岩首までの間には、東立島、蚫、赤玉、立間、豊岡、柿野浦といった集落が、谷筋に点在しているが、仮に岩首まで行ったとしても、そこから先へのバスの接続がない。それでは赤泊には泊まれない。それならば、ここで降りて引き返して椎崎温泉に泊まったほうがよい。そう考えて立てた計画である。
▼国土地理院 「地理院地図」
38.007784, 138.546431
信越地方(2014/05/14訪問)
タグ:新潟県
コメント 0