1100 弁天崎=佐渡市片野尾(新潟県)さまざまな伝説のある奇岩巨岩も続く東海岸を走ってバスは風島へ [岬めぐり]

姫崎の野城を過ぎると水津で、ここから県道45号線は南に向かう。水津の赤亀岩、片野尾の弁慶岩など、この付近の海岸は奇岩巨岩の名所でもあるらしい。それぞれに、もっともらしい伝説がくっついているのがおもしろい。赤い岩が目立つ赤亀岩には、小亀を助けるために親亀が犠牲となったという話があり、弁慶が運んだという弁慶岩はこれも似たような話が各地にある。


それに、姫崎の東に浮かぶ竜王岩もあった。なんでも、竜王岩には順徳帝にからむ言い伝えもあるらしい。
その伝説には二つのバージョンがある。順徳上皇が姫崎で舟遊びをしているとき、うっかり刀を海中に落としてしまうが、海から現れた竜王がそれを届けてくれる、というのが主とされる。もうひとつは、上皇を慕って追ってきた蔵人が水津に辿り着こうというときに海が荒れて上陸できない。そこで短刀を海に捧げて竜王を鎮めた、というものである。
なるほど、佐渡はかつて流人が送られた島であったが、その大物の代表である順徳天皇の名は、中学生の頃「百人一首」で初めて知ったのだと思う。
百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
小倉百人一首の編者である藤原定家は、この歌を100首の100番目に置いている。そのことが結構意味深であると気づいたのは、ずいぶん後になってからのことだった。
第48代順徳帝は、後鳥羽上皇の皇子で、1221(承久3)年のこれも日本史上で著名な重大事件、また大きな影響を後の世に残した「承久の変(乱)」で敗れ、北条義時により佐渡へ流され、この島で21年間の流人生活の末、絶食してその生命を終えている。

佐渡島の東海岸の岩には佐渡100景とかなんとかという類にも入っている場所がいくつかあるが、そういう伝説をつくりたくなるような景色なのであろう。岩の斜面に、なにやら大きなスキマができているようなところもある。ただ、岬めぐりだけで手一杯足一杯の当方としては、岩まではとてもめんどう見切れないのだが…。

そういうところを通り過ぎて行くと、風島というところに弁天崎がある。これも「風島弁天」として佐渡100景に入っている。(ここのところは、写真は往復で撮ったものが入り混じる)
岬というよりほとんど陸地にくっついた島のようで、固い岩がなければこういう地形は残らない。これもまた、全体がひとつの岩のように見える。

切り立った崖の間に、ジグザグと上に登っていく道がつけられているようで、この上に弁天社があるのだろう。
どういうわけがあってのことかはわからないが、実は佐渡には「弁天」のつく岬が非常に多いように思われる。いったいいくつあるのか、これからカウントしてみよう。
まず、この風島の弁天崎がその1である。


この岬にも、というより当時は岬ではなくやはりはっきり「島」という認識があったようで、そのために風島の名が今に残されることになったのだろう。この島にも伝説がある。

片野尾村の長の息子が眼病に罹り、島に上って21日間弁天様に祈願するも甲斐なく、かねて決意の投身をはかるが、突如舞い起こった強風によって、はるか南の赤泊まで飛ばされて救われ、眼も治ったというのだ。
この東海岸、平地はほとんどないので、海岸と背後の山との間にぱらぱらと集落があるくらいで、現在ではバスの本数も少ないところながら、古くからこうした伝説がさまざまに残り伝えられてきた場所である。その場所が本州の越後に向かい合っていたから、ということも多少は関係あるのだろうか。
38.06288, 138.574154




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