でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その24 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]
“使い勝手のよい言葉”というのがあって、その代表格であった「がんばってね」「がんばろうね」というのが、「がんばらなくていいのだ」とか「がんばろうとするのがいけない」いった主張(これも特定の事例についての話がじわじわ拡散して)がどんどんハバを利かせてきて、最近ではだんだん使いにくくなってきましたね。
相手の不運や不幸をいたわり思いやる言葉としては、「気の毒」というのはなかなか便利な、使い勝手のよい言葉です。
これも汎用性は高いのだけれども、考えてみるとこの言葉、当事者以外同士で使うにはいいのだが、当の不運や不幸の本人相手に向かって直接言うには「お」をつければ使えるけど、多用はできない。
「毒多き 毒の中にも 気の毒は なにより毒な ものでこそあれ」という道歌で初めて気がついた…。こういうことも結構多いのです。
これは他人が気の毒なのではなくて、自分自身の「気」の「毒」に当てられている、ということを言っているのですね。そこに気がつかなければならない…。
そうか、そうだった。三木鶏郎の作詞作曲で宮城まり子が歌った歌にもありました。「目の毒 気の毒 河豚の毒 ああ 毒けしゃいらんかネ〜」。
人間の発する毒で、いちばん警戒すべきは「欲」だと、昔の人はわかっていました。
そして、それこそがすべての「争い」の元であることを…。
24 争いは欲…
欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を忘るる
どんよくの 心を種に 植えおきし こがねの花は 散りやすきなり
落ちて行く 奈落の底を 覗き見ん いかほど欲の 深き穴ぞと
おのが身の 主人を知らで 欲という いたづらものに まかすあぶなさ
兄弟の 中も互いに 敵となる 欲は激しき 剣なりけり
欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を離るる
おそるべし 欲のほのほは 激しくて 我が身も家も 人も焼くなり
物事の 一つかなえば また二つ 三つ四つ五つ むづかしの世や
毒多き 毒の中にも 気の毒は なにより毒な ものでこそあれ
世の毒は 口から入れど 気の毒は 目から鼻から 耳からも入る
仮の世の 仮の宿りの 仮垣に なわばりをして 長短とは
兄弟が 田を分け取りの 争いは たわけものとや 人のいうらん
あらそいの 握り拳も 開くれば 可愛いと撫でる 同じ手の先
あらそいは げに山びこの こだまかや わが口故に 先もかしまし
あらそわぬ 風に柳の 糸にこそ 堪忍袋 ぬふべかりけれ
ありという 人に地獄は なかりけり なしと思える 人にこそあれ
じひもなく 情も知らぬ ものはただ 人の皮着る 犬とこそ見れ
タグ:道歌
コメント 0