でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その23 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]
重森完途(カント=東福寺などの作庭家として有名な重森三玲(ミレー)が父)の本を読んで日本庭園に興味をもったのは10代の終わり頃で、さっそく京都の名園めぐりに出かけたものでした。竜安寺にもそのときに初めて行ったのですが、なんか有名な石庭よりも印象に残ったのが、裏庭の東の隅に置かれていた小さな蹲(つくばい)でした。
「知足の蹲」といわれるそれは、お釈迦様の教えのひとつを具現化したものだったのですが、えらくそれに感銘を受けたものです。以来、「吾唯足知」はでんでんむしの座右の銘となったのですが、何度目かに竜安寺へ行ったときに見た蹲は、なにか様子が変でした。置いてある位置が、最初に見たときと違うのです。方丈の北側の外回廊の角にあるので、「こんな場所では、第一つくばいの役目を果たさないではないか」と思ったものです。
その写真が探し出せないので、竜安寺のホームページを見てみましたら、その位置はやはり方丈の裏庭の中央で、しかもその説明は、よく探さないとわからないほど目立たないものでした。
得意の勘ぐりを働かせてみるに、お寺としてはさして重視していないが、団体客などが集まって覗きこむのに都合が悪いので、廊下に集まって覗き込むのに便利なように場所を移したのではないか…。
お寺としては、それで充分に事足りた、ということでしょうか。
それとね、これ気に入ったのは、もうひとつ「吾」と「唯」と「足」と「知」に共通する「口」を中央の方形の水面にしてしまうという、なんとも洒落た遊びごころ…。うまいなぁ…と思ったものでした。
23 足るを知る…
たることを 知るこころこそ たから舟 世をやすやすと 渡るなりけり
事足れば 足るに任せて 事たらず 足らせ事足る 身こそ安けれ
乏しかり 時を忘れて 食好み このみの多き 秋の山猿
道ならぬ 物をほしがる 山猿の 心からとや 縁に沈まん
千畳の 座敷持ちても なにかせん たった寝床は たたみ一枚
千両箱 富士の山ほど積んだとて 冥土の土産に なりはすまいぞ
身を思う 心は身をば 苦しむる 身を思わば 身こそ安けれ
身のほどを 知れと教えし 伊勢の神 今もわら屋の 宮にまします
身を知らば 人の咎にも 思わぬに 恨み顔にも ぬるる袖かな
思うこと ひとつかなえば またひとつ かなわぬことの あるが世の中
事足れば 足にも慣れて 何くれと 足がなかにも 猶嘆くかな
足る事を 知りからげして 身を軽く 欲の薄きに 福と寿はあり
破れたる 衣を着ても 足ることを 知ればつづれの 錦なりけり
むりなりと 思いながらも いいかかる 性を性にと するは人かは
成功を 急げば無理の 出るものぞ 無理のないよう 無理のないよう
思うべし 人はすりこぎ 身は杓子 思いあわぬは われゆがむなり
姑めの 杓子当りが ひどければ 嫁ごの足が すりこぎとなる
何事も 時ぞと思え 夏来ては 錦にまさる 麻のさ衣
(2014/04/29 記)
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