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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その09 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 大家さんから教わった「ならぬ堪忍 するが堪忍」の「道歌」を、八っぁんだか熊さんだかが「奈良の観音、駿河の観音…」と間違えるというシーンが、題は忘れたけれど古典落語に出てきます。大家といえば親も同然ですから、親が子を諭すように、大家さんも道歌をツールとして活用していたわけです。
 大家さんとか横丁のご隠居とか寺子屋の先生とか、そういう人たちがごく自然に庶民の指導的役割を果たしてきたのかもしれませんが、教育もない一般人、八っぁんだか熊さん相手となると、こむつかしいことを言ってみてもしょうがないわけです。教えの内容もぐっと庶民的で、下世話になってきます。
 「道歌」を蔑む傾向が、一部にあるのは否定できません。それも、こうしたところに由来しているのかもしれません。
 忍耐を説く道歌が多いのも、ウラを返せばそれだけ庶民の生活が苦しく楽ではなかった、ということでもありましょう。もっと勘ぐれば、それを我慢させることが、支配階級にとっては必要だったのかもしれませんが、そこまでマルクス主義的に考えるのは、やっぱり行きすぎでしょう。
 それでも、世の中がいかに矛盾にみち、虚偽が多くまかりとおり、腹の立つことばかりだった…(それは現在でもさして変わらないけれども)そんな世の中でも、我が心さえしっかりもっていれば大丈夫だ、真実と誠でなんとか生きていきなさいと…。

kokoro.jpg
09 mark.jpg らぬ…

限りなく いかに腹立つ ことありと 顔をそんじて 声高くすな

むかむかと 腹のたつとき かえり見よ 理か非かまたは 短慮なるかと

青筋の 額に角が 顕はるる 内にねたみの とがりある故

焼き餅は 遠火で焼けよ 焼く人の 胸も焦がさず 味わいもよし

世の中に 人をそねむは 目に見えぬ 鬼よりもなお 恐ろしきかな

へつらわず おごることなく あらそわず よくをはなれて 義理を案ぜよ

人に負けて 己に勝ちて 我を立てず 義理を立つるが 男伊達なり

へつらわず おごることなく 争わず 欲を離れて 義理を案ぜよ

偽らぬ ものと思いし 鏡すら 左と右に うつる世の中

いつわりも 人にいいては やみなまし 心の問わば いかがこたえん

人問わば 海を山とも 答うべし 心の問わば なんと答えん

人問わば とにもかくにも 答うべし こころが問わば 如何に答えん

偽りの あるをば知らで 頼みけん 我が心さえ うらめしの身や

八百の うそをじょうずに 並べても 誠ひとつに かなわざりけり

犬桜 咲かでも春を 送れかし 我が身の恥を われとあらわす

えせものと 人にいわれん あさましや めをひきゆびを さされてはさて

えせものは あたりにあるも むつかしや ましてむつびん 事はゆめゆめ

えせものは 人の憂いを よろこびて よしときくをば そねむなりけり

世の中は うそばかりにて 過ぎにけり 今日もまたうそ 明日もまたうそ

さのみまた 人の心を うたがへば わが偽りの ほどぞ知らるる

真実で よし一時は 負けるとも 虚偽で勝つには まさりけるかな

真実の 目がさめたれば 世の中の 憂きもつらきも 皆嘘の皮

真実の 目が明かぬから うろたへて 我と我見る 憂い目つらい目

苦しみて 後に楽こそ 知らるなれ 苦労知らずに 楽は味なし

何一つ とどまるものも ない中に ただ苦しみを 留めて苦しむ

人のため 身を惜しまぬは 仏なり 楽をしたがる もとはこれ鬼

一生は 旅の山路と 思うべし 平地は少し 峠沢山

Dhikari.jpg

dendenmushi.gif(2014/04/01 記)
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タグ:道歌
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