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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その05 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 人が生きていくうえで、いちばんやっかいなのが自分自身であり、自分の心というものでありましょう。…ってなことをいうと、いかにもエラそうですが「道歌」のポジションはそこにあるような気がします。いろいろエラそうなことを言ってるけど、じゃあおまえさんご本人はどうなんだい?、と突っ込まれない位置を確保しておかなければ、何も言えません。
 「詠み人知らず」になる必然性は、そういうところにもあるのかもしれない。誰がそんなことを言ってるのかは、問題ではないのです。それが、何人の心にも響くものであるならば…。
 しかし、今の世の中のように、何かといえば箸の上げ下ろしまで衆人環視になってしまい、何かというとすぐに突っ込まれて、誰彼かまわず寄ってたかって好き放題言われる変な世の中になってしまっては、こうした「道歌」も成り立たないのかもしれないですね。
 ある意味では、普遍性を象徴化し記号化したともとれる道歌は、やっかいな人の心にも切り込んでいきます。精神科医などおらず、人生相談の看板もない時代、あばれまわる自分の心を持て余しながら、こうした教えをよりどころにした人も多かったのでしょうか。

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05 mark.jpg こそ…

世は海よ 身は浮き船よ 心をば 梶ぞと思い 深くつつしめ

自らの 棹さす船も 心せよ 思わぬ方に 進みがちなり

一筋に 心さだめよ 浜千鳥 いずくの浦も 波風ぞ立つ

人心 変わり易きを そのままに 染めてや見する 紫陽花の花

皆人の 心ひとつの 小槌より 千百の宝は 打ち出だすらし

人はただ 心ひとつを 正さずば よろずの能の ある甲斐もなし

磨き得て 国の宝と なるものは 人の心の 玉にぞありける

磨きなば 磨いただけに 光るなり 性根玉でも 何の玉でも

見る人の 心ごころに 任せおきて 高嶺に住める 秋の夜の月

目鼻口 手足は人の 並みなれど 心ひとつで 廃る身体ぞ

善し悪しと 思う心を 振り捨てて ただ何となく すめばすみよし

世のわざの 濁りそめたる 人心 文読むほどに 清く澄みけり

我が身なお 我が心にも かなわぬに 人を心に まかすべきやは

湧き出づる 心の底は 浅くとも 岩間の清水 汲む人もがな

芥子ほども 悪心のなき 心こそ つきせぬやすき 楽しみはなし

無というも あたら詞の さわりかな 無とも思わぬ ときぞ無となる

心こそ 心迷わす 心なれ 心にこころ 心許すな

心こそ 心をはかる 心なれ 心の仇は 心なりけり

心とも 知らぬ心を いつのまに 我が心とや 思いそめけん

いくたびも 思い定めて 変わるらむ 頼むまじきは わが心かな

人ならば 恨みもすべし いかにせん 我をすかすは 我が心なり

思わじと 思うもものを 思うなり 思わじとだに 思わじやきみ

忌めば忌む 忌まねば忌まぬ 忌むという 文字は己が こころなりけり

塵を呑み 芥を入るる 大海の 広きをおのが 心ともがな

その道に 入らんと思う 心こそ 我が身ながらの 師匠なりけり

手や足の 汚れは常に 洗えども 心の垢を 洗う人なし

朝夕に 顔と手足を 洗うなら 心のあかも すすぐなり

祈るとも しるしなきこそ しるしなれ 人の心に まことなければ

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dendenmushi.gif(2014/03/24 記)
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タグ:道歌
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