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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その04 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 「道を説く」といえば、“道学”と“道学者”を連想します。北宋時代の中国に起こった道学は、後に朱子学として確立していくのですが、先の王や聖人によって定められた人倫の道を説いてきたのが道学者です。ところが、“あいつはまるで道学者のようだ”というように、いい意味では使われません。
 彼らが非常に厳格な理想主義と潔癖な倫理主義によってきたため、えてして世間知らずで、教条的で融通がきかない人間の代名詞のようになっていたからです。
 「道歌」には、そんな影響を反映していると思われるものも多いようです。けれども、そういうこととは別に、世の中というのはこんなもんじゃよということを、決して堅苦しくもなく、エキセントリックでもなく、多分にシニカルとらえているところがおもしろい。人間のあるべき姿を求めているとしても、もっとおおらかにゆるやかに、世の中というものをみているように思えます。
 ただ、いわゆる「説教臭い」ことは事実ですがね。まあ、それも大衆に教え諭し、大勢を導くという点からも、とにかく敷居を低くしてポイントを絞ることに腐心しているようにみえます。
 「とりあえずわかったようなつもりにさせる」という効果は絶大でしょう。
 でんでんむしなどは、この「世の中は…」の一首目にも同感して、なるほどなあと思ったけど、二首目には「そうか!」と手を打ったくらいですが、そのときは高校生。ホントにわかっていたとは思えませんが…。それでも「瓢箪鯰(ひょうたんなまず)かあ〜と、どこかで見たことのあるユーモラスな絵(禅画?)を思って、いたくわかったような気がしたものでした。
 三首目は、ご存知(でんでんむしは見たことないけど)金八先生も使ってたらしいですね。

kokoro.jpg
04 mark.jpg の中は…

世の中は 私より先に 用のある 人の足跡 橋の上の霜

世の中は ふくべの尻で 鯰の尾 おすが如くに わたるべきなり

世の中は 持ちつ持たれつ 立つ身なり 人という字を 見るにつけても

世の中は 寝乱れ髪の 風情して 昨日いいしや 今日変わるらん

世の中は 棚の達磨に さも似たり 起きては転び 転びては起き

世の中は 白黒赤く 移りゆく わがみ一つは 元の身にして

世の中は 流れ渡しの 舟なれや くだるぞ棹は さしよかりけり

世の中を 渡りくらべて 今ぞ知る 阿波の鳴門は 波風もなし

世の中の 人は知らねど 科あれば 我が身を責むる 我が心かな

世の中に 身のとりどころ なかりきと いわれんことや 無念ならまし

世の中は 兎と亀の かけくらべ はやいからこそ おそくなるなれ

世の中は かくぞありけり 猿の手の 左のぶれば 右は短し

世の中は 何をいまはの 苔むしろ ただ働くに しくものぞなき

世の中は 回り合わせば 擂鉢の 甘き日もあり 辛き日もあり

世の中は 月に村雲 花に風 思うにわかれ 思わぬに逢う

よき湿り すぐに困った お天気と 手前勝手の 人の世の中

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dendenmushi.gif(2014/02/22 記)
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タグ:道歌
きた!みた!印(26)  コメント(2)  トラックバック(3) 
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コメント 2

cafelamama

世の中は~の文、納得するものが多いです。
by cafelamama (2014-03-23 08:10) 

dendenmushi

@ほんとに…。「月に村雲 花に風…」もそうですし、擂鉢も思わず笑ってしまいますが、よく考えてみるとそのとおりだなあ〜と。
by dendenmushi (2014-03-23 14:57) 

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