石敢當とは直進してくる魔モノ除けの装置だが似たようなモノが…(36) (石垣島だより シーズン2) [石垣島だより]
八重山の街を歩くと、街角や道路脇や壁、石垣など、いろんなところで「石敢當」(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)と書いたり彫ったりした石やプレートが目につく。それも、かなりの数であちこちに出現する。
これは、元もとは中国南部の福建省あたりが発祥の風習が、海を渡って沖縄に伝わったものとされている。その石を立てる目的はなにかと言えば、「魔除け」である。
それが置かれる場所は、本来は、丁字路や三叉路などの突き当たりの置かれる。なぜかというと、この地域で市中を徘徊する魔モノがいて、その名を「マジムン」という。なんかマムシみたいだが、どうやら関係はないようだ。その魔モノは、まっすぐに直進するという行動パターンを持っているらしい。
だから、道をやってきたマジムンは、丁字路や三叉路などで突き当たりにぶつかると、その正面の向かいの家に入ってきてしまうのだ。そりゃ困る、うちには来てくれるなというわけで、この石を立てておく。
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三叉路や丁字路ばかりではなく、道路に面した壁に埋め込まれたものとか、敷地の角に置くとか、設置場所もどんどん拡大しているようだ。
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その由来については、石敢當という人物がいたとするなど、諸説があって定まらないところもあるようだが、こういうことが中国南部から沖縄にそして八重山に伝えられ、現代にそれが定着しているのが大変おもしろい。
八重山の神や御嶽や祭りなどを、日常生活のなかにちゃんと組み入れてきた沖縄の人々の精神世界には、マジムンもその防御法とセットで容易に受け入れられたのだろう。
柳田国男によれば、この“石敢當”の文字があるのは、比較的新しいもので、元は字などない“ピジュル”と呼称された古いものだろうという。文字のないものも、石垣島と西表島で見つけた。
石敢當とよく似たものも、形を変えてある。それは、石垣のところでは書いていなかったが、それが切れる入口のところにある。『ちゅらさん』の家で覚えている人もあるかもしれないが、赤い屋根に石垣の昔ながらの八重山の家では、門にあたる石垣の切れる入口を入ると、すぐ正面に通せんぼをするように石壁(たいていは石垣と同じ材質が用いられている)が立ててある。
これは「ピーフン」という。ビーフンじゃないので食べられないが、これがやはり魔モノに襲われて食べられないようにするためのものだ。別名では「前グスク」ともいう。グスクが「城」の意味をもつので、いわば出城のようなものを表していると考えられる。魔モノに本丸に入られないように、外郭で防御するという装置でありシンボルなのだ。
そういえば、石敢當に比べると圧倒的に少数だが、家の塀の四隅に四天王の名前を書いた木の札を貼り付けている家も、いくつか見つけた。
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若いころ、中村直勝先生の本を読みながら、京都奈良の寺院めぐりをしたことがある。その中村先生の独特の語りの文章が、心にしみるような気がしたものだが、その本で四天王の位置と順番の覚え方を教えてもらった。
先生曰く、「じぞうこうた」と覚えなさい…と。
仏法を守護する四天王は、須弥山の四洲をそれぞれ受け持っていて、まず東勝神洲を持国天、次いで南瞻部洲を守護するのが増長天、西牛貨洲の担当は広目天、そして北倶廬洲を守るのが多聞天、というわけだ。
持・増・広・多の四天王像で、最も有名なのが東大寺戒壇院のもので、その当時の戒壇院の周囲は、ほとんど訪れる人もまれなくらい、静かであった。今でも、奈良の風景といえば、それが蘇ってくる。
その四天王の札を貼り付けている家を、八重山で見るのは、まことに奇妙な感じもしたが、これだってなにも“やまとはくにのまほろば”のほうから伝わってきたものではあるまい。中国にも四天王像を祀る寺はある。文化大革命とやらで壊されていなければ…。
八重山の四天王は、これもやはりそっちのほうからきたと考えるほうが自然なように思われるのだが…。
おいおい! 魔除けっていいながら長々くだらんことばかり書きゃがって! 肝心な俺様を忘れちゃいませんかってんだ!
ハハッ、もうしわけござりませぬ。あなたさまはもうチョ~有名でいらっしゃいますので、ええそれでもってですね…(しどろもどろ)。
沖縄地方(2014/02 記)
タグ:沖縄県
私も昨年石敢當について取り上げました。
よろしかったらご笑覧ください。
http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2013-12-25
by 駅員3 (2014-02-21 07:31)
@なるほどねえ、表札だと思ったわけですね、そのゼンリンの調査員は…。しかし、ホームセンターで売っているとはね。もう、そこまできたんだ…。
by dendenmushi (2014-02-21 12:13)