1043 年崎=長崎市為石町(長崎県)“ねんざき”ではなくどうやら“ねんさき”と読むのが正しいらしい [岬めぐり]
旧三和町の中心は、現在は行政センターとなっている旧役場があったあたりであろう。そこは、為石(ためし)町から布巻町に変わるあたり、国道499号線と県道224号線の三叉路交差点付近で、運動場や病院などがある。栄上(えいがみ)と呼ばれるバス停があるが、山の中のどちらかというと淋しいところだ。
長崎半島がちょっとくびれたようになっていて、年崎やメボシ崎のある為石の小湾と、反対側のタン崎と天神鼻のある蚊焼の小湾とは、直線距離で2.5キロしかない。旧三和町役場は、その中間の中央に位置していた。
3Dもどきの航空写真だと、その感じがよくつかめるだろう。
中央で南に飛び出ているのがメボシ崎で、ずっと右寄りで二股のようになっているのが二ッ岳崎。為石の港の左手(西)で、防波堤とくっついているのが年崎。そこから川を遡ったところ、四角い貯水池の上が三叉路になっている。左上に蚊焼の湾がある。
貯水池の手前(南)が、山の上を造成してできた団地が為石町から分かれてできた椿が丘町である。もうひとつの造成団地で蚊焼から分かれてできた晴海台町は、蚊焼湾の上(北)に500メートルも行ったところから始まっている。
旧役場付近は、道は広いが山の間で、どちらかというと淋しいところだと書いたのは、ここを歩いたのが冷たい雨の降るなかだったからだろうか。
それより、為石町のなかか、蚊焼の町のほうがずっと開けているが、わざわざここに役場をおいたのは、三つの村が寄り集まってできた町であったからにほかならない。三つの村の真ん中という意味では、為石町でもよかったはずなのだが、南の川原町よりも、半島西海岸の蚊焼への配慮が勝ったためであろう。
合併では、こういう一見どうでもいいようなことが非常に重大になってきたりする。
ホテル下のグラバー園下のバス停から乗ったバスは、川原木場というところまで行くが、川原公園で降りて蛭子崎と大瀬鼻をみて、また引き返した。
年崎も二ッ岳崎・メボシ崎と同じく、その帰り道のバス車窓からである。
港の南の端に出っ張っていた岬は、築港に活用され、北には岸壁が続き、岬の中央からは突堤が突き出ているという格好である。
そのすぐそばから住宅があり、道路があり、という岬は、雨の中を走るバスで通り過ぎた。バスが通る道路は一本内陸よりの道のため、その岬の様子はほとんど住宅に隠れてしまう。
そのため、ここも川原町の道路から眺めたところだけになる。
帰りのバスは、三叉路の栄上で降りて、野母崎へ行くバスに乗り換える待ち時間に、行政センターの隣にある公民館が、休日にもかかわらず開いていたので覗いでみた。
玄関を入ったところには、ガラスケースに収まった資料と、壁いっぱいに貼られた三和町の歴史年表が展示してあった。うん、こういう情報をもっと一般に公開できるようにするか、合併で消えた旧町の情報を整理して見せるように、長崎市も考えるべきではなかろうか。
長崎市のページでは、観光情報の中心に「さるく」を位置づけているようだ。「さるく」というのは、長崎弁で“街をぶらぶら歩く”という意味なのだそうだが、これがまたおっそろしく見にくい構成になっている。一度見た情報も、再び探すとなると苦労する。
それをがまんしながらぶらぶら見ていて、たまたま発見したのが「知られざる遺跡が残る三和探訪」というページ。おおっ、やっと、初めて出てきた三和町の情報である。その「コース紹介」は、次のようにいう。
伝統の技が光る包丁で知られる蚊焼や漁業の町である為石、不思議な伝説が残る大池やキャンプ場で人気の川原。三和エリアは、市街地から南西に突き出した長崎半島の中央部にあります。緑豊かで、海まですぐ! この静かなロケーションは、自然を満喫する散策に打ってつけです。
ええっ!? 「包丁で知られる蚊焼」なんて、歩いていても全然わからんかったやん。さらに「コース行程」には、「年崎海岸の礫質片岩」とある。それも初めてでてきた年崎の情報なのだが…。
▼国土地理院 「地理院地図」
32.636994, 129.838981
九州地方(2013/11/03訪問)
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