1036 竜崎・恵美須崎=西彼杵郡時津町西時津郷(長崎県)“七工区”もあるここはいったいどこからみて「西」なのだろうか [岬めぐり]

崎野ノ鼻を回りこんで時津の港に向かう船の左舷には、低くて長い岬がその西側の岸を見せている。そのなかに、竜崎と恵比寿崎もある。竜崎は、崎野ノ鼻を北側の海から眺めたときに、右端に飛び出て目立っている岬で、恵比寿崎はそこからずっと奥まった埋立地の端っこに引っ込んで目立たない岬である。

長く続くそこら一帯は、港のそばまで全部が、「時津町西時津郷」である。西時津郷というからには東時津郷もあるのかと思えば、それはない。

あれっ? ここは東端の町境なのに、なんで「西」がついているのだろう。長与町か多良見などから見たときにしか「西」とはいえないのに。これは謎である。

「西時津」は細い岬を長与町と半分コしているので、横に広がりはないが、入江に沿う古そうな道が一本頼りなげにずっと奥まで通っている。なにもない東の長与側とは対照的に、いくつもの集落があるようだ。港を中心とする旧時津の西にあるからついただけで、その頃にはまだ東の地域は西に比べてもまださほど重視されていなかったのだろうか。

西時津郷でも恵美須崎の南に、“七工区”というのが地名になって残っているのは、時津での大規模埋め立てのハシリだったからだろうか。埋立工事のときから場所を特定する区割りの呼び方が、そのまま地名になっているのはめずらしい。そこには、工場がぎっしりと並んでいる。

時津町域全体から見ると、この竜崎・恵比須崎や時津港のある地域は、町の東端の隅っこに偏っていて、港から北西に向いて7キロ近くも町は続いている。
その海岸線は、北の一部を除いてすべて直線。つまり、コンクリートの岸壁で固められている。埋め立ての当初は、“八工区”とか“十工区”とかいわれていたのかもしれない久留里郷と日並郷と呼ばれるこの付近は、全部埋立地で、商業用地や工業用地になっている。
久留里郷と日並郷の埋立地のコンクリートの岸壁が終わる先には、もうひとつ赤崎という時津町の岬があるのだが、それは西彼杵半島の岬めぐりの機会に委ねよう。
こういう表現は変かもしれないが、時津町はあまり厚みがない町で、港から南へほぼ真っすぐ行くと、2キロと少しでもう長崎市との境界の峠を越えてしまう。これが町の全域にわたって同じようなことがいえる。
東の長与町と接するところと南は、標高もせいぜい100メートル前後くらいのところを道が通っているが、西の長崎市との境界には、南から烏帽子岳(413メートル)、鳴鼓(なづみ)岳(392メートル)、堂風岳(239メートル)といった峰が、低い屏風のように連なっている。

このことは、深い山と水量のある川がないことを意味しているようなもので、実際に時津町はたびたび水不足に悩んできて、長与町などからも助けてもらわなければならない。
そんな時津町は、「生活都市とぎつ~誰もが住みたくなる町へ~」というキャッチフレーズを掲げている。
長崎県全体では、ご多分にもれず人口の減少が続いているが、なかでもめずらしく人口が増加している地方自治体がある。それが、隣り合う時津町と長与町の二町であり、時津と連絡船でつながっている大村市なのだそうである。
大村湾南部は住みやすいのだろうか。長崎市のホームページには、長与町と時津町のバナーが、なかよく並んで貼り付けてあった。
先には、数字はあげていなかったが、長与町は人口42,300人で面積28.81 平方キロ、時津町は人口30,580人で面積20.77平方キロ。ついでに大村市は人口92,091人だが、面積は126.56平方キロと二町とは比較にならないほど広いのである。

▼国土地理院 「地理院地図」(Web.NEXT)
32.853587, 129.848725 32.841978, 129.851643




タグ:長崎県
地図で一直線の海岸を見ると
何となく寂しい感じがしてしまいます
by ハマコウ (2013-11-26 04:29)
@そうなんですよね。ここではこの地図の下の港の部分はもちろんですが、西側の海岸線がすべてそうなんです。
公有水面の埋め立ては、これでいいのかという疑問は常にあります。
by dendenmushi (2013-11-28 07:38)