1033 小崎鼻・二見瀬鼻=諫早市多良見町佐瀬(長崎県)“たらみの「み」はミカンのミ”で多良見の岬もここまで [岬めぐり]
「たらみ」という名は、ミカンより先にフルーツゼリーか何かで知っていたと前に書いたが、その会社の名がここ「多良見」からきているとは知らなかった。
この会社、この付近にもファームなどをもっていて、経営の変化はあったようだが、なかなか手広く事業を広げている。こういう、地場の会社が元気なのは、関係ないよそ者にもすばらしいことのように思える。
いや、それはたまたまのこと、旧多良見町の記録にある伊木力遺跡について、諫早市が無視しているようなので、何となく気になってみていて、今日のたらみの“み”というページ(2011/03の記事) に出くわして知った。
どうやら、伊木力遺跡はすでに埋め戻されていて、その出土品の丸木舟の破片やモモの種だけが、公民館に展示してある、ということらしい。だから、諫早市としてはわざわざ書かないということなのか。それとも、歴史資料的な価値は、さほどないのか。
「たらみの“み”」では、遺跡の位置については特定しておらず、公民館の場所だけは読者からのコメント質問に答える形で「諫早市多良見町の”のぞみ公園”の施設内にある」としている。
なるほど、その公園なら確かに諫早市のページにも大きく紹介されていて、浴場施設などを含む大規模に整備されたリクリエーションセンターのようだ。だが、そこでも伊木力遺跡についてはなにも情報がない。
第一、のぞみ公園のある場所は、同じ多良見ではあるものの白岩鼻の上あたりで、そこは木床であって伊木力ではない。伊木力遺跡は伊木力にこそあるべきだ。
改めてまた、合併前の旧町のページを探っていくと、それはやはり黒崎鼻の付け根、伊木力川河口の上あたりであるらしい。そこらは多良見町舟津で、その西隣が多良見町佐瀬となる。
旧伊木力村には、“伊木力”の字はなく、佐瀬郷、野川内郷、舟津郷、山川内郷と、四つの“郷”があった。旧大草村では字につくのは“名”だったが、ここではそれが“郷”。
こういった地名の付け方の原則的な相違は、明らかに統治体制の違いか何か、そういうものを示しているように思える。
佐瀬郷は、いや現在の多良見町佐瀬の範囲はなかでも広く、3キロ四方に及ぶ。そして、この佐瀬でもって多良見町も諫早市も終わるのである。
この北側のでこぼこのなかに、小崎鼻と二見瀬鼻がある。後から考えてみれば、これらの岬を沖を走る船から特定するのはかなり困難で、ここを通る路線バスをなんとか探して、陸路を行ってみなければならなかった。
もちろん、お天気がよければ、もう少しは景色もはっきりしたのだろうが…。
地理院地図と写真をなんども首っ引きで照らし合わせてみるのだが、これがという決定的な特定材料が見つからない。
そうしているうちに、地理院地図に奇妙な塗り分けの違いを発見した。
東の黒崎鼻とその西隣の小崎鼻の間で、山の中のミカン山道路の入り組み方が東西ですっぱりと分かれているのだ。ちょうどそのラインは、多良見町舟津と多良見町佐瀬の境にほぼ接しているようだ。
これは、単なる偶然なのか、それとも、地理院の地図製作の過程でたまたま作業の途中で終わってしまったのか…。ちょっと不思議なこのライン、念のために写真で見るとさして変化はないようでよくわからない。
諫早市のページで触れている多良見情報には、平成15年市指定の天然記念物「伊木力のコミカン」というのがある。その説明ではこういう。
天明年間(1781~1788)、大村藩主純鎮公の薦めにより田中唯右衛門、田中村右衛門、中道継右衛門の三氏がこの地に初めてみかんの苗木を栽植したと伝えられます。
指定を受けているコミカンは、中道継右衛門氏が栽植したものとされ、推定樹齢200年の紀州みかんで、樹高4.5m、幅約5m、幹周り82cmの古木です。
昭和30年代初期の台風で倒伏したまま補修せずに今日に至りますが、根系も健全に蘇生回復しており、樹勢は良好です。現在、中道継右衛門氏のご子孫により、大切に育成管理されています。
でんでんむしが反応するのは、この地にミカン栽培を広めたのは、なんと大村藩主であった、という点だ。ここは、大村藩だったのだ。なんとなく鍋島領かと思っていたので、意外な展開である。といっても、それは単にでんでんむしの早とちりで、多良見が諫早になったのが近年のことで、このあたりは全部大村藩だったのだ。
伊木力コミカンのある場所は、諫早市は多良見町野川内で、そこは佐瀬の南、伊木力川の上流で、長与町との境界になる松ノ頭峠にも近い山の中であった。
▼国土地理院 「地理院地図」(Web.NEXT)
32度52分14.21秒 129度54分38.87秒 32度52分46.51秒 129度53分50.67秒
九州地方(2013/11/02訪問)
こんにちは。
故郷伊木力についてちょっと調べていてたどり着きました。
旧西彼杵郡多良見町の「××郷」は、大村藩、「××名」は諌早藩、そして、「伊木力遺跡」は、諌早市立琴海中学校の真ん前の舟津(旧西彼杵郡多良見町舟津郷)にありました。
私も、のぞみ公園のある土地は木床(旧多良見町木床名)で諌早藩なので、納得行きません。
できれば、琴海中学校の敷地のどこかに展示室を置くべきだと考えます。
諌早市と多良見町が合併した時点で、伊木力は諌早藩とごっちゃにされてしまい、ちょっと納得行きません。
by 高林夕子 (2014-12-20 10:10)
@高林さん、ちょうど先日も、別の方から「1031 笠瀬鼻」にコメントがあったところでした。こういうのが続くのもおもしろいですね。
ま、行政には行政の都合や言い分があるんでしょうけど、もう少し地元の歴史その他くわしく理解したうえで、考えて欲しいところですね。
by dendenmushi (2014-12-21 08:43)