1032 黒崎鼻=諫早市多良見町舟津(長崎県)鹿島と竹島をともなって飛び出た岬もとにかくどこまでもミカン山 [岬めぐり]
黒崎鼻のあるところは、伊木力川が流れる湾の北側に飛び出ていて、つい250メートルも先に、鹿島と竹島という島を従えているのか、従っているのか、相互の力関係、上下間関係は不明ながら続いている。このうち鹿島は、大小二つの島が細くつながっていて、竹島のほうは岩の無人島のようである。
黒崎鼻のすぐ北にあるのは、その小さく低いほうで、大きく高さも50メートルある鹿島の本島のほうは、人家もあるように地図では観察できる。その沖の大小の島も共に、やはりミカン山として活用されているらしい。
もちろん黒崎鼻もそうで、その出っ張りの袂には、舟津という地名の由来になったであろう港もある。伊木力川が流れる狭い谷は、旧大草町(村)と旧伊木力町(村)の境界にもなっていたようだ。
黒崎鼻の眺めは、もっぱら旧大草町(村)だった多良見町元釜の大草駅を通るあたりからになる。ところが、これがそういうわけか、どこまで行っても終始電線に邪魔されないときがない。もれなく電線が何本もたくさんついてくる。
雨のため空は暗く、島も岬も黒い。晴れていれば、竹島の向こうには長崎空港が見えるかもしれない。
岸壁にガードレールを切り取って、仮に置いたような桟橋がある。その看板を読んでみると、大村ボートレースに行くための連絡船が開催日にはここから出るらしい。
長崎から長与経由で大草までやってくれば、そこからは連絡船がレース場まで最短で直行してくれる。至れり尽くせりである。
舟が、古代から重要な交通手段であったことは、いうまでもない。そして、この舟津もまた縄文人たちが粗末な丸木舟で東シナ海を渡ったとする説もある。その舟の一部がこの付近で見つかったということは、昔なにかで読んだ記憶もある。
“当分の間”こういう形式で保存されているらしい、前述の旧多良見(たらみ)町のホームページには、その歴史に関して以下のようにいう。
多良見町のあけぼのは、伊木力遺跡から出土する多数の石器・土器などから、縄文時代ごろだと推測されています。さらには、チャンチンモドキや日本で最も古いモモの種など、中国大陸との文化交流が感じられる多くの遺物が見つかり、縄文人たちがこの多良見の地を中心に東シナ海を渡っていき、世界の古代文明にかかわってきたのではないかという大きなロマンも生まれました。
さて、「チャンチンモドキ」がわからないので調べてみると、絶滅危惧種の雌雄別株の落葉低木であるという。鹿児島県の北西部や熊本県の天草などにあるらしい。天草からはここも近い。「チャンチン」は、センダン科の落葉高木で、そのモドキというわけだ。
伊木力遺跡のそれが、大陸からの渡来と結びつけられる理由はよくわからないが、日本最古のモモの種というのもおもしろい。
ところが、不思議なことに、諫早市のページではこれに関する情報がまったくないのだ。人口 17,308人にすぎない旧多良見町が、138,937人の諫早市の一部になれば、こういう地域の独自情報も、合併で切り捨てられ、断絶してしまうのだろうか。そんなたくさんの事例の端っこを、垣間見るような気もしてくる。
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だが、この付近の特徴ある景色をつくっているのは、やはり耕して天に至るミカン山だろう。
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そうですよ。長崎の岬めぐりは、空港から時津行きの連絡船に乗って始まったことを、思い出してください。
黒崎鼻の西になおもいくつか岬は続くのだが、さてさて船からの景色は、大丈夫でしょうかね。心配です。
▼国土地理院 「地理院地図」(Web.NEXT)
32.866274, 129.930253
九州地方(2013/11/03訪問)
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