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番外:北方領土=納沙布岬で “にわか勉強”(北海道)択捉・国後・色丹・歯舞は一貫してわが国固有の領土である [番外]

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 岬の魅力は、ひとつにはそこが突出した地の果て、地面の終わりであり領土の限界線を示すものだから、という理屈もつけている。まぁ、それは岬でなくても砂浜でも海岸線はどこでもいっしょといってしまえばそうなのだが、飛び出ている分だけ、その境界線にぎりぎり近づくというメッセージは際立つ。
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 とくにこの納沙布岬のような、岬のすぐ先に領有権のおよぶ限界を示す境界線があり、岬の先にはひとつながりのように見えている島があり、そこには尋常なことでは行くこともできないとなればなおさらで、そういう場所は日本中でここしかないのである。なお、“はるか岬の向こうに他国が見える”ところとしては、根室半島と知床半島のほか宗谷岬や与那国島の西崎(いりざき)がある。
 四方八方を海で囲まれた島国に住んでいると、境界線と向き合うこともなく、領海も領空もほとんど意識せずに暮らしている。それがいいことかどうかという議論もあろうが、やはり幸運なことだったと思う。
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 その名も「望郷の岬公園」と名付けられた納沙布の東端にある茶色のアーチは、北方領土返還実現への決意を祈念するシンボル「四島のかけ橋」で、四つのブロックが四島を意味している。その隣は「北方館・望郷の家」という資料館もあり、白い高い塔はボートレースの胴元の親分が建てた望郷の塔。ナンでも、入場料がバカ高いので、誰も行かないらしい。もちろん、観光バスも普通行かないが、政治家が視察に来たときなどは行くのだろう。ともかく、「望郷の岬公園」で、“望郷”を思わざるを得ないのが、哀しくつらい。
 わが国をとりまく領土問題は、北方領土のほかにも竹島や尖閣諸島があるが、問題の条件がそれぞれ異なるので、同列にも論じられず比較もできまい。ただ、北方領土の場合は、それが「わが国固有の領土である」という点において、よりいっそう明確である。
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 納沙布岬の訪問を機会に、改めて問題整理の“にわか勉強”をしてみた。
 
17世紀初め頃から、歯舞・色丹・国後・択捉は松前藩が所領とする蝦夷地の東端であった。その支配を任せていた江戸幕府は、1785(天明5)年から千島の調査に乗り出し、東蝦夷地として幕府の直轄領にした。1800(寛政12)年には択捉に郷村制を敷いて管理した。
樺太は松前藩も調査を行なっていたが、1805(文化2)年には幕府の命によって探査に赴いた間宮林蔵が、ロシアとの間に海峡があり樺太が島であることを発見する。だが、その帰属は未開の地で日露が混在するため、「界を分かたず」で確定していなかった。
1855(安政2)年の日魯通好条約によって、択捉島とウルップ島の中間を国境線と定め、択捉・国後・色丹および歯舞群島を日本領とし、ウルップ島以北の千島諸島はロシア領と平和裡に確定した。
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1875(明治8)年、ロシアとの間で樺太千島交換条約が結ばれ、樺太全島はロシア領とするのと引き替えに、択捉より北のクリル群島(シュムシュ島からウルップ島に至る18島)は日本領とすることで合意確定した。
北緯50度以南の南樺太については、日露戦争後1905(明治38)年のポーツマス条約による戦後処理の諸条件のひとつとして、日本がロシアから割譲された。
1925(大正14)年、日本はソ連邦との外交関係を樹立し、日ソ基本法則条約により、ソ連はポーツマス条約の有効性を確認した。
1941(昭和16)年4月13日調印の日ソ中立条約により、相互に領土保全と不可侵を尊重し合う義務を負う旨誓約した。(条約の有効期間は5年、いずれかが期限満了の一年前に廃棄通告をしない場合は、自動的に5年間延長)
1945(昭和20)年2月11日、米英ソ三国首脳によるヤルタ会談では、米英がソ連の対日参戦を促す条件として、「ソ連邦へのクリル諸島の引き渡し」を規定する密約を交わした。
1945(昭和20)年4月5日、ソ連邦は日ソ中立条約の破棄通告。これにより、この条約の有効期限は1946(昭和21)年4月25日までとなる。しかし、日本は終戦末期に至るまで、ソ連を終戦交渉の仲介者として当てにするという滑稽な事態になっていた。
1945(昭和20)年の7月26日付けの米英中による対日ポツダム宣言では、「日本の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに連合国の決定する諸小島に限られる」としていた。
1945(昭和20)年8月6日、広島に米軍により原子爆弾投下。
1945(昭和20)年8月8日、ソ連邦が対日ポツダム宣言に参加。
1945(昭和20)年8月9日、長崎に米軍により原子爆弾投下。
1945(昭和20)年8月9日、日ソ中立条約の有効期間内であるにもかかわらず、ソ連は日本に対して宣戦布告を行なうと同時に、ソ満国境を突破して旧満州に侵攻し、関東軍を破って日本人多数を捕虜とする。(後にシベリア抑留)
1945(昭和20)年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、停戦降伏した。
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1945(昭和20)年8月18日、カムチャッカ半島から南進したソ連軍第二極東軍が千島列島の占領を開始。8月31日までに千島列島南端のウルップ島までを占領する。
1945(昭和20)年8月28日から9月5日にかけて、樺太から南下侵攻したソ連軍第一極東軍が、択捉・国後・色丹・歯舞の諸島に侵入し、無抵抗の日本軍を武装解除し占領した。
実は、ソ連第一極東軍の真の狙いは、北海道に侵攻して釧路・留萌のラインまで(ほぼ根室本線のライン)を占領することであったが、アメリカの抵抗にあってこれを断念する。しかし、択捉・国後・色丹・歯舞の北方領土には米軍が布陣していないことがわかって、そこに攻め込んだとされる。
終戦時、3,124世帯、17,291人いた日本人住民は、多くは道東地域に脱出、移住せざるを得なくなり、島から追い出された。
1946(昭和21)年2月、ソ連最高会議幹部会令で、これらの島々を一方的にロシア・ソヴィエト社会主義連邦共和国に編入。
1951(昭和26)年、連合国と締結したサンフランシスコ平和条約により、日本は独立国としての主権を回復する。この条約で日本はクリル諸島および南樺太についての権利と請求権を放棄する旨規定されていたが、これらがどこに帰属するかは定めていない。また、ソ連はこの条約に反対して調印しなかったので、日ソ二国間での平和条約の締結が必要となる。
しかし、その後の日ソ交渉はいっこうに進展せず、ソ連は領土問題は解決済みであるとする立場を長い間とり続けてきた。また、日本側は日本が放棄した千島には択捉島以南の北方領土はもともと含まれていないので、当然返還すべきという立場を主張し続けてきた。
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 今日に至るも、まだ領土問題を含む平和条約への道は遠い。この間、何度も政治家は入れ替わり、ソ連はロシアになったり、また平和交渉とは別に首脳会談や漁業交渉や、度重なる交渉でそのつど覚え書きを交わすなどの動きはあった。その過程で、墓参やビザなし渡航、日ソの民間友好交流など、さまざまな状況も徐々に起こってきてはいる。
 しかしながら、ソ連崩壊後も、2島返還論など多少のニュアンスの変化はあれ、基本的にロシアの態度が大きく変わることはなく、むしろ北方領土カードとして都合のいいようにあしらわれている、という感じさえする。
 それらについて、経緯や概略をトレースするのは、あまりにも空しいのでここでは省くが、外務省が毎年発行している『われらの北方領土』に詳しい。
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 2012年現在、北方領土には、択捉島7,335人、国後島6,712人、色丹島2,802人、計16,849人のロシア人が住んでいる。この地域への日本人の渡航には、ロシアの発給するビザが必要になる。外務省はそれに応じると、ロシアの施政権の既成事実を認めることになるとして、自粛を求めている。
 もう数週間くらい前のことになるのか、連立を組む与党の党首が、北方領土視察のため、根室を訪れたという。その党としては12年振りのことだというが、どうやらロシアに行く計画が固まったので、その前に視察しておきたかったらしい。これも“にわか勉強”だが、勉強しないよりはいいかも。
 現役の政治家で、仮にも与党の党首がその程度なので、われらの北方領土は、相も変わらず遥か彼方に霞んでいる。
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 (この項の記述については、手元にある『日本の領土』芦田健太郎(中公文庫)ならびに『われらの北方領土』2012年版(外務省)を参考にしている。)

▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
43.385212, 145.81655
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dendenmushi.gif北海道地方(2013/09/05?06訪問 10/22 記)

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