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番外:根室半島=日本最東端(北海道)日本でいちばん早い朝を迎える出っ張りは今なお未解決の難問に直面している [番外]

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 忘れないように書いておくと、ここが日本最東端というのは、これは一般住民が住んでいる領土内でのことで、地理的には南鳥島のほうが最東端になる。そこは、“北緯24度18分、東経153度58分”であり、小笠原の父島からは東南東に約1,300キロ、硫黄島からも東に約1,100キロの位置なのだが、気象庁や防衛省の施設があるものの、一般人の立入はできない。
 そこで、“日本最東端”といえば、この根室半島に間違いはなく、“北緯43度38分、東経145度81分”の納沙布岬がその端になる。ただ、これも貝殻島や北方領土をどう考えるかでも変わってくるので、実効支配の及ぶ有人島という限定は、やはり必要だろうか。
 それらを踏まえたうえで…。日本でいちばん早く朝がくる根室市は、東西70キロと東西に細長く突き出た根室半島の全域と、半島の付け根の初田牛・厚床から、北西部の風蓮湖の北までを市域としている。ただし、風蓮湖では北隣の別海町との間に、境界未定地を残している。西隣は浜中町で、この境界付近では南北に13キロ弱の幅があるが、ここから東に行くとだんだん細い半島になり、根室の中心市街地付近では横断する距離は、わずか4キロに満たない。
 大きな山も大きな川もなく、おおむね平坦であるが、盛り上がった隆起海食台地は、町の中心部にも坂道を残しながら広がってきた。市街地の東は広い牧場が展開し、その名も牧の内という地名が多くを占めている。
 半島先端の納沙布岬までの南側の海岸では、入江ごとに漁港と集落が続き、西の花咲や落石の港、あるいは北の根室港とあわせて、カニ、コンブ、サケなど北海の資源に恵まれて、水産業を中心に発展してきた。
 根室市の2013(平成25)年8月末現在の人口は28,662人、13,123世帯である。市になったのは1957(昭和32)年で、1967年頃の人口は、49,000人を超えていたというから、ここも過疎化が進んでいる地域といえる。
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 元禄時代から松前藩の領域であったとはいえ、当然ながらもともとアイヌの土地で、根室の歴史はアイヌの歴史から始まり、和人との抗争を抜きには語れない。だが、それについて詳しい訳もないので、根室市のホームページにその概略があることを参考までに紹介しておこう。1789(寛政元)年にクナシリ島のアイヌが一斉蜂起して、和人多数を殺害したという事件を最後(おそらく)に、蝦夷地でも和人の支配が定着していくことは記憶しておいていい。
 アイヌ地名が多い北海道でも、この根室半島一帯では、ほとんどがそうであるといわれる。因みに、根室は「ニムオロ=樹木の繁茂するところ)と市ではしているが、これにも諸説ある。
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 もうひとつ根室の歴史にかかわる重要事は、1792(寛政4)年にロシア最初の遣日使節アダム・ラクスマン一行が、漂流民として大黒屋光太夫らを伴って根室に入港し、この地で8か月を過ごしたことがある。
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 そのときの乗船エカテリーナ号が着いたのが、根室港の弁天島だった。使節との交渉は松前で行なわれたが、一行が滞在した根室では、外交上初の日露交流が行なわれ、日本でも知識の吸収欲が盛んで、最初のロシア語辞典も作成されたという。
 エカテリーナ2世が日本に光太夫ら漂流民を返すという口実を利用して、使節を派遣した目的は、シベリアでの毛皮生産を増強するために、近隣で唯一開かれた蝦夷地との交易によって、食料など必要資材の調達問題を解決したかったから、とされている。
 これが、それから61年後に自国の捕鯨船の薪炭補給基地確保に迫られてやってきたペリーの黒船来航の事情と、よく似ているのがおかしいほどだ。これをみても、黒船が決して“想定外の”、“未曾有の”できことではなかったことがわかるのだ。
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 さらに、終戦の年には戦災で街の大半を焼失したというが、地方都市の空襲がここまで及んでいたということか。問題は、その終戦時のどさくさに紛れて不可侵条約を破って参戦したソ連が、択捉、国後、色丹、歯舞の諸島を不法に占領し、今日まで未解決の北方領土問題を生んでいることだ。
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 根室の駅前や、市役所には「返せ!北方領土」という看板などを掲げてはいるが、問題は誰がどうみても簡単ではない。
 周辺海域では、漁船の拿捕や銃撃事件が相次いだ時代もあった。
 現在では、日ロ両国のビザなし交流のために建造された船「えとぴりか号」が、友好関係を保ちながら一括返還に向けて運動するという困難な航路を、根室港から北方の島々との間で細々とつないでいる。
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 根室半島を貫くのは、主要幹線の国道44号線とJR根室本線である。根室本線の起点は遠く滝川で、根室までの距離は448.8キロと、北海道では最も長い路線であるが、はて、滝川ってどのへんだったっけ?
 滝川は函館本線の札幌と旭川の間であった。そこから富良野、新得、帯広、釧路と続く。釧路から東の部分は、花咲線と呼ぶこともあるが、この区間ではエゾシカとの衝突事故が多発していて、管理能力不足のJR北海道をさらに悩ませている。
 鉄道マニアのみならず、日本最東端の駅が東根室駅であることを知っている人は多いだろう。あまり観光ポイントが多くない道東ツアーでは、それがコースに組み込まれていることが多いからである。浜中駅から根室行きの1両編成の気動車に乗ったときにも、厚床から乗り込んできた団体があって、これが駅舎も何もなく幅の狭いホームがあるだけの東根室駅でぞろぞろ降りて行った。そこで最東端の駅の標識と写真を撮ると、ホーム下の空き地で待ち受けていたバスに乗り込んで行くのだ。
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 根室本線が、その東の端まできて、急にカーブして向きを西に変えるために、東根室駅が最東端になってしまうのだが、なぜここでこんなに一見不自然なUターンカーブをしているのか、前から不思議に思っていた。北方に向けては根室港が重要港だったわけだから、根室本線の終点は、カーブしないでそのまま北へ延びた方がよかったのではないか。
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 そのナゾが解けたわけではないが、今回の訪問で気がついたことがある。国土地理院の地図を、眺めていると、根室駅から総合文化会館を経て汐見町へと、北東に向けて点線のカーブがあるのがわかる。今は道路になっているこの線が、根室港への引き込み線の跡らしい。根室駅は、スイッチバックの駅のようになっていたのだ。
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 東根室駅があるところが昭和町、終点の根室駅があるところが大正町、そして根室港の上には明治町という。こういう町の名は、おそらくはそこが開発された時代と無関係ではないだろう。実際に、東根室駅は昭和の開業で、根室駅まで全線開通したのは大正時代である。
 ところが、明治だけは違っていた。別の理由からついた“明治”らしいのだ。そこには明治公園という公園があって、国の登録有形文化財である古い煉瓦造りのサイロが保存されていて、街の名所にもなっている。しかし、このサイロができたのは昭和の初めである。牧の内の牧場を背景に、明治に始めに官営で牧畜を始めたのが、後に明治乳業になる会社に譲渡されている。明治町は、どうやらそれが起源らしいのだ。
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 明治公園からまっすぐ西南に延びる大きな道路が44号線で、これに面して市役所などの官公庁がある。市役所の前には、作曲の飯田三郎、作詞の高橋掬太郎ともにご当地出身の作家の大ヒット曲『ここに幸あり』の歌碑がある。これについても前に書いたつもりでいたが、どうもそれは別ブログで書いたらしい。大津美子が歌ったこの歌は、昭和30年代を代表する歌のひとつであるといってよい。「女の道は なぜ険し〜」というこの歌は、小説の映画化にあててつくられたもので、実はかなり暗いニュアンスもある。それなのに、結婚式で歌われたというのは、『てんとうむしのサンバ』と同じで、一部だけを象徴的に拡大した記号化によるものだろう。
 根室港に近い松ヶ枝町生まれの飯田と国後島生まれの高橋コンビの歌では、そのさらに10年近くも前に『啼くな小鳩よ』があり、これもこどもの頃よくいいかげんに歌っていたものだ。
 洟垂れ小僧が「啼くな小鳩よ 心の妻よ なまじ啼かれりゃ 未練がからむ」などという歌を歌うのは、まったく教育上もよくないが、当時はそんなことは普通であった。児童会では「流行歌を歌わない」という申し合わせもあったが、歌詞の意味など関係なかったし、そう目くじら立てるものでもあるまいと、大人たちももっとおおらかに考えていたようだ。
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 今回の根室の宿は、市役所の並び、44号街路樹のナナカマドも赤い実を目立たせ始めた、北斗小学校の向かいにある根室ハーバーホテルである。ここでは根室名物という「エスカロップ」も初めていただいたが、部屋からのクナシリ島の眺めもごちそうであった。
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 つい、知床半島をクナシリと見間違ってしまいやすいが、根室の市街地は北西を向いている。だから海に向かって正面ではなく、弁天島からほぼ真北にあるのがそうのはずだ。これから根室に行く人は、覚えておくとよいかもしれない。
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▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
43.306108, 145.575326
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dendenmushi.gif北海道地方(2013/09/05〜06訪問)

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タグ:北海道
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