1004 石炭岬=白糠郡白糠町岬(北海道)襟裳岬から東隣にあたる岬は150キロも離れたここになるがその名は当然… [岬めぐり]
白糠町は、釧路市に東西両側を挟まれている(つまり釧路市は、中心部と釧路湿原などがある東部と、音別・尺別などがある西部が飛び地になっている)道東の町である。4,320世帯で人口は8,942人ほど、“白糠を知らぬか”とおやじギャグで迫られても、やっぱり知らぬ人のほうが多いのではあるまいか。
それでも最近2013年夏の全国ニュースでは、“白糠漁港に近海物のマグロが水揚げされた”と伝えていた。これまで、大間では獲れてもマグロの魚群が白糠付近に現れることはなかったというので、ニュースになったのだろう。
北海道南部の岬めぐりは、日高山脈の西側は 襟裳岬 で折り返していた。今回は、それから東へつなぐコースだが、襟裳岬から東へは十勝川河口まで北上し、そこから北東方向へ行った白糠の石炭岬までのおよそ150キロ近くが、岬空白地帯となる。(上の地図で言うと、左下の先端が襟裳岬で、右上の陸地の端が白糠)
この間は、公共交通機関もまたきわめて厳しいところなので、帯広は飛ばして釧路から西へ戻るのが、コースとしては正解なのだ。
いつもANAに乗るたびにアナウンスで聞かされる、“STAR ALLIANCE”という言葉はなにを意味しているのだろうか。まあ、知ったところでどうせたまにしか乗らない身には関係がないのだが…。
ちょうど羽田でそのマークと名前をつけた機が出ていくところだったが、それは世界的な航空連合の名称であるらしい。全日本空輸が加盟したのは1999年と早かったらしいが、どうもわれわれ程度の利用者にはなんの関係もなさそうだ。世界各地にあるスターアライアンスのラウンジは、上級会員、ファーストクラス、ビジネスクラスの乗客が利用可能という。やっぱり当方にはなんの関係なかったね。
羽田からANAで100分間のフライトで、釧路空港に着くと、釧路中心部へ向かう空港連絡バスに乗り、途中海岸に出たところ大楽毛(おたのしけ)で降りて、バスを乗り換える。
大楽毛には、JR根室本線の駅もあるのだが、ダイヤの都合がよくないので、くしろバスで恋問(こいとい)の海岸に沿って西へ向かうと、庶路のコイトイ川の河口の先に岬が見えてくる。
さては、これが石炭岬かと思えばそれは違っていて、刺牛の海岸の山であった。
その名も「岬」という地名は、白糠市街の東の丘と谷間の地域で、その先端に石炭岬という名がついている。
道路際に下を向いて立つ矢印の標識を見ると、北海道へやってきた!という感じがする。降りたバス停も石炭岬。
地図では、その海岸に岩礁地帯が描かれているから、それが丘から延びる岬の先端だったのだろうが、ちょうど満ち潮なのか、それらしいものは見えない。
名前の由来は文字通りで、その昔、この地で石炭が採掘された。それも歴史的にみてもなかなか重要なもので、1857(安政4)年にここで石炭の採掘が始まったのは、北海道では最初となる記念すべきものだった。
その目的も、幕末に日本各地に出没し始めた外国船への燃料供給のため、であった。けれども、歴史の流れは速く、ここでの石炭が必要とされたのは、わずか7年ほどの間でしかなく、すぐに途絶えてしまう。それには、歴史の動きのほかに、品質の問題もあったのか。
ただ、白糠の石炭はこれだけでは終わらなかった。戦後になって復興のための資源が求められたのか、あるいは北海道の再開発のためか、1947(昭和22)年、新白糠炭鉱が岬の谷間で操業を開始している。しかし、それも17年後には閉山となっている。
“北海道石炭採掘創始の地碑”というのが、岬の上にあるらしいが、あるいはバス停から見えていた石碑のようなものがそれだったのだろうか。
おや、まてよ。安政の頃にはまだ「石炭」という用語は使われていなかったはずではないか。とすると、「石炭岬」という名がついたのは戦後のこと(安政の創始と戦後の採掘を合わせて)、となるのだろうか。
「シリエト」とアイヌの人々が呼んでいた岬の上には、現在でも石炭の露頭のコブがあるというが、海岸からではそれは見えない。白糠の市街地側からは見えるというが、JR白糠駅まで行っても、時間が合わないので、また石炭岬のバス停から、くしろバスに乗って国道38号線を戻ることにする。
コイトイの海岸は、さすが北海道という雄大な海岸だが、気になったのは、バスが市街地に入ってくると、「鳥取」がついた地名やバス停が延々と続くことだった。この「鳥取」はなにか? 調べてみようと思っていたのに、すっかり忘れていた。
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
42.953035, 144.091072
北海道地方(2013/09/03訪問)
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