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番外:奇跡の一本松=陸前高田市気仙町砂盛(岩手県)実を言えば多少シニカルにこのどたばたな一件のいきさつをみていた [番外]

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 陸前高田市に来て、「奇跡の一本松」にふれないわけにはいくまい。現に、前項「1003 恵比須鼻・白浜崎」でも、雨ににじんだ一本松が、ちゃんと写りこんでいたが、あえてそれは無視していた。だから、番外で一項目。
 もっぱら、BRTバスで気仙沼駅から陸前高田市役所を往復する間の、雨の車窓からだけである。もともと、これを見に来たわけでもないので、雨の降りしきるなかを走るバスの車窓から、おおこれがウワサの一本松かと…。したがって、ロクな写真はない。
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 陸前高田市そのものからして初めて訪れたわけだが、事前に地図(しかもそのほとんどが被災前の情報だったこともあって)を眺めて想像していたのとは、おおいに印象が違っていた。
 地図では、松原の近くに陸前高田駅や道の駅などが表記してあったので、バスもここへ停まるのだろう。そうすれば、降りて歩いて行ける。そこまで行けば、恵比須鼻・白浜崎も眺められるだろう…。
 ところが、陸前高田市の市街地の被災状況は、想像を超えていた。
 なにしろ、市の自慢でシンボルだった白砂青松の高田の松原は、そのほとんどが流されて、松どころか陸地も残っているのは西の気仙川左岸付近と東端の一部だけなのだ。西の巨大な水門がある隣あたりが、小さな島のようになってしまい、一本松はその島の西端にある。
 ここの電子国土地図は、写真は被災後だが地図のほうは被災前のがそのままなので、松原はそのまま描かれている。被災後の地形を応急処理したらしいMapionでは一本松も表示しているが、見比べてみると陸地がごっそりなくなってしまっているのがよくわかる。しかし、駅とかバスターミナルなどの表記は被災前のままである。
 こういう国土を揺るがし輪郭を変えてしまうような大災害の後だから、地図にも大きな混乱が起こるのは、やむを得まい。
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 旧市街地だった平地は、ところどころに建物の残骸があるだけだ。バスが通る付近は、ほとんど土砂などが高く積み上げたような壁が続いているだけで、人が歩けるような場所はどこにもありそうにない。
 だから、市役所も山の中にいってしまっている。
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 問題の一本松は、名物の松原がほとんどが流されて壊滅状態になったなかで、ただ1本だけ無事に残った。そこで「奇跡の一本松」という呼び名が生まれたわけだが、この奇跡は長続きしなかった。
 被害の影響はやはり徐々に一本松をむしばんで、延命のためのあらゆる努力も空しく、ついに立ち枯れてしまう。そこで、これを祈念モニュメントにして残そうという動きが起こる。募金も全国から集まり、人工の松を立てることになったところ、今度はできたレプリカの松の枝振りなどが、元の松とは似ていないという批判があって、手直しして造り替えることになった…。
 とまあ、こんないきさつを経てやっと迎えた完成式は、2013(平成25)年の7月3日に行なわれた。式後に一般公開されたが、その後に7月の後半から8月いっぱいだけの期間限定で、大船渡線BRTの「奇跡の一本松」駅が臨時駅として設置されるのがやっとなくらいだから、これが“観光名所”になるには、まだまだ時間が必要だろう。
 両陛下の陸前高田ご訪問も、その完成にあわせたものだったのであろうか。また、気仙沼市が内陸に打ち上げられた漁船を遺構として保存することにこだわったのも、このお隣の一本松のことがあったのかもしれない。
 わざわざ「※完成した「奇跡の一本松」は、構造上の理由により、元の枝葉の形とは一致しない部分もあります。」と断りをいれなければならなかったが、とにかくは完成である。
 生来のあまのじゃくだから、“どたばた”という皮肉な表現をするのに躊躇もないくらい、シニカルにこのいきさつを眺めていた。正直、“そこまでやるんかい”という思いもあった。けれども、ここをバスで通っただけで、少し考えを改めた。
 あまりにも、周囲がなにもかも流されてしまって、あるものといえばまだ残されたままの大きな残骸と復興作業用の動きばかりのなかで、たとえレプリカにせよ、この一本松が、鎮魂と再生への人々の祈りと願いを込めたシンボルであるならば、さらなる奇跡を信じてみたい気にもなってくる。

■高田松原と奇跡の一本松(「陸前高田市ホームページ」から)
 ■高田松原
 白砂青松の高田松原は、市民はもとより県内外の来訪者から四季を通して愛される場所でした。約350年前から先人たちが植林を行い、市民の手で守り育ててきた高田松原。その美しさを多くの詩人が詠み、昭和15年には国の名勝に、昭和39年には陸中海岸国立公園に指定されました。夏には海水浴客でにぎわい、松に囲まれた遊歩道は市民の憩いの場所でした。また、多くの動物や希少植物が存在し、多様な生態系が育まれていました。高田松原は、まさに陸前高田市の象徴とも言える存在でした。
 ■奇跡の一本松
 平成23年3月11日、陸前高田市を地震と大津波が襲いました。死者、行方不明者は2,000人近くにのぼり、市街地や海沿いの集落は壊滅しました。過去の度重なる津波から高田のまちを守ってきた、約7万本と言われる高田松原もほとんどが流されてしまいましたが、その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」です。
 津波に耐えて奇跡的に残った一本松でしたが、海水により深刻なダメージを受け、平成24年5月に枯死が確認されました。しかし、震災直後から、市民のみならず全世界の人々に復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいくために、陸前高田市ではモニュメントとして保存整備することといたしました。それが「奇跡の一本松保存プロジェクト」です。高田の松原と奇跡の一本松
 ■保存方針
1 一本松の各部分は可能な限り残し、屋外展示に耐えうる保存処理を実施する。上部枝・葉部分は型取り後レプリカを作製する。
2 自立構造体とし、主構造体は高強度が期待できる炭素繊維強化樹脂複合材料(CFRP)を使用する。
3 自立構造体のため根部分はコンクリート基礎とし、根は別途保存処理を行い将来に向け保存する。

 先にも書いたように、国土地理院の地図は、地形図は被災前のものだが、写真のほうは一部は被災後のものになっている。写真では、松原はほとんどが陸地そのものが失われ、気仙大橋も橋桁だけを残して落ちているが、これは比較的早くに復旧したようだ。

▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
39.003174, 141.625044
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dendenmushi.gif東北地方(2013/07/05訪問)

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