1003 恵比須鼻・白浜崎=陸前高田市気仙町二日市(岩手県)ついでにちょっとだけ足を伸ばして宮城県から岩手県 [岬めぐり]
そういうわけで(どういうわけかは「997 山王鼻や松崎など」の項 を参照)、最終日は気仙沼大島の計画を放棄して、とりあえずいい思案もないまま気仙沼駅まで戻ってきた。雨はばんばん降っているし、時間も半端だ。今からどこかの岬へというのもムリだ。といって、東京へ帰るには早すぎる。
そこで、気仙沼駅からJR大船渡線(ドラゴンレールという名がある)で、陸前高田まで行ってくるというのはどうだろう。今回の計画には入っていなかったが、次に訪問するときの下見を兼ねて、BRTバスで陸前高田まで行ってそのまま引き返して帰ってくる。ダイヤを調べてみるとちょうど時間的にはいいから、そうすることにした。
気仙沼駅から大船渡の盛駅まで行くBRTは、結構乗客が多かった。座席も選べないが、今日は雨だし車窓も期待できないだろう。本来のJR大船渡線は、気仙沼からは山の中を北上して、陸前高田へ回り込むが、BRTバスは広田湾沿いの45号線を走る。
鹿折唐桑駅前を経由して、霧立山は霧立トンネルでまっすぐ通り抜け、前日はカンカン照りのなかを、おもしろくもない自動車道を意味もなく歩いてしまった県境の道を過ぎて岩手県に入ると、そこは陸前高田市気仙町である。
岩手県なのに気仙町。これまで何度かふれてきた、気仙沼市の地政学的(というほど大げさなモンではないが)背景を、如実に示しているようである。
もともとその計画ではなかったので、45号線から気仙町二日市の長部漁港が見えるかどうかを、確認するのを逃してしまった。
この漁港の出入口の左右に、恵比須鼻と白浜崎のふたつの岬があるのだ。でも、この雨ではねえ。
北側の恵比須鼻は、港の岸壁が鋭角に東に突き出た先っちょにその名が記してある。海岸線が直線で仕切られたそこは、明らかな港湾埋立地である。そこはいま、工場や公園になっているらしい。その西に50メートルほどの小山があって、そこには城跡のマークがついている。漁港の周囲は気仙町湊という名で、古くから栄えた港町であったような感じがある。
陸前高田の地形を考えてみれば、それは比較的容易に想像できる。
西の山に沿って流れる気仙川が、東に三角の広い平地をつくった。その南の広田湾に面した海岸は、松原が続く砂浜である。いや、残念ながらここは「あった」と過去形で言わなければならない。
気仙川河口右岸の小山に城(砦)ができたのも、その下に湊が発達したのも、おそらく自然の成り行きであったろう。
また、城跡の山からは東に向かって、湊を守るように岩礁地帯が広がっていたのではないだろうか。
そう考えると、ここに恵比須鼻という岬の名が残るのも、非常に納得ができるのだ。
一方、長部漁港南側の白浜崎は、港のもうひとつの山の先で、籬(まがき)島という岩山を伴い、その西側はやはり港のために埋め立てられている。
恵比須鼻と白浜崎は、帰りのBRTバスが、気仙大橋を渡る前後の車窓から、どうにかそれとおぼしきあたりを眺めることができた。肝心の岬は、あまりはっきりもせず、手前には巨大公共事業の記念碑のような水門が、廃墟となって大きく写り込んでいる。それでも…。
せっかく来たのだから、一項目あげておくことにしよう。
陸前高田市の市役所前が、BRTバスの陸前高田の停留所になっている。それは、恵比須鼻からは北に直線距離で3.5キロも気仙川を遡った付近の山の中にあった。もともとは、もっと河口と松原に近い平地にあったのが、仮設で移転しているのだ。
そこは陸前高田市高田町鳴石というところで、高田バイパスに沿った広い一帯には、なにやら延々と白い壁が張り巡らせてある。4棟もの二階建ての長いプレハブが並んでいる。バスが着いたのは、そのいちばん奥の4号棟の北である。
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なにもかも急ごしらえの仮設ばかりで、なにもなく雨の中帰りのバスの時刻がくるまで、どうすることもできない。見学とトイレを借りるために、仮設庁舎のなかに入ってみると、なにやら雰囲気がものものしくざわついていて、棟をつなぐ渡り廊下にも人が溢れている。なにか、イベントでもあるのか、腰の曲がったおばあさんなどが、数人こっちかあっちかとなにかを探す風でうろうろしている。
廊下は人で通れないので、外へ回ってみようと、建物の横を回って行くと、前方からいがぐり頭の恰幅のいい人が飛んできてこう言う。
「おとうさん! どちらへ行かれるンですか!」
最後は、やっぱり“?”ではない“!”の口調である。見知らぬ他人から「おとうさん」と呼ばれたのは、生まれて初めてだ。だいたい、他人をつかまえて「おとうさん」とか「おかあさん」と呼ぶのは、どういうんだろう。“第一村人発見”じゃあるまいし…。
「よそのおじさん」と同じようなことなのだろうが…。
バスを待っているだけと答えると、ここから先へは行けないという。なにごとかと問えば「エライ人」がくるからだと、また老人をあやすような調子で説明し「不審者と思われますからね」と言う。まあ、岬めぐりといってうろうろしてれば、けっこう不審者みたいなもんだが…。
いったい誰?と聞けば、天皇陛下だという。
な〜るほど、それで一挙に状況を理解した。途中から、道ばたに随分たくさんの警官が出ていた。よ〜くわかりましたよ。
後でニュースをみたら、この日、陸前高田市を訪れた天皇皇后両陛下は、市役所で昼食をとられたのだという。時間帯としては、ちょうどその前だったのだろう。
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白い塀の雨のバス停から、再び“第十八共徳丸”の横を通って気仙沼駅に戻り、大船渡線で東北新幹線の一関に出た。一関駅も、駅員さんたちが大勢動き回っているかと思えば、日の丸の小旗をもって配っている人もいるし、地元の新聞社の腕章を巻いた若い人もいる。
駅の上りホームも、黒い服を着た人や、報道関係者などが撮影機材を抱えて右往左往している。もしかして、同じ列車かと思ったが、ひとつ後の臨時列車だったようだ。
いやいや、両陛下も何度もの被災地訪問、お疲れさまでございました。そのほかのみなさんも、たいへんですね。
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
38度59分43.22秒 141度37分31.13秒 38度59分27.25秒 141度37分42.25秒
東北地方(2013/07/05訪問)
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