984 仙代崎=本吉郡南三陸町歌津(宮城県)次は「がんばろう」「がんぱっぺ」南三陸町最後の岬はまたしても失敗 [岬めぐり]
北の沢の峠の上の家は、横長の大きな二階建ての家で、目の錯覚か真ん中で少し折れ傾いているようにも見えたが、それを質す間も与えず、その人が話してくれたところでは、平成の森を出た町民バスは西北のほうを回って、この峠を通って、現在では伊里前の中心になっているらしい伊里前福幸商店街まで行く。自分もいつもそれに乗って病院へ通うのだが、バスのダイヤと診察の時間を合わせる必要があるので、と…。
年寄りの病院病気話は、延々とながく続くのが常だが、そこへちょうど峠の下から町民バスがやってきた。ダイヤの時刻通りである。
親切に心配して出てきてくれたその人に礼を言って、乗り込んだバスには、またほかに乗客はいなかった。
その帰り道では、歌津の泊まで行って引き返したので、海岸を通過したときの写真もあったので、ここでついでに拾っておこう。
雨粒でにじんでぼけたそのなかに、緑色の字で「がんばろう南三陸」と書かれた立て看板が雨に濡れていた。その二行目は、なんとか「がんばっぺ泊浜」と読める。
「がんばろう!」というフレーズは、大震災大津波(含む原発事故)の後も、盛んに使われた。
それ以前には、励ましの意味でいわれるそれが、逆に受ける側の心理的にプレッシャーになって追い込んでいくこともあるというので、一部では「がんばらなくていいんだよ」というのもよく流行った。
ことばは便利だが、ときとしてそれが不自由に感じられることもある。
こういう大災害に見舞われた人々に、なんの関わりもなかった自分が、いったいどう言えばよいのだろう。「がんばれ」というのも、なんかどこかで違うような気もしたりして…。
せめて、被災地を訪問させてもらうのを機に改めて、町のホームページでみた義援金募集の呼びかけに、貧者の一灯で協力させていただくのもよかろうと考えた。帰ってきてから、今回の岬めぐりで訪問した被災地である、南三陸町と気仙沼市に設けられていた口座に、ときどき所用があって通る神楽坂の銀行(七十七銀行ではない)から振込みをした。ことばの不足は、そんなことでもいささか補えるのかもしれないから。
それに、南三陸町では、無料で町民バス(災害臨時バス)にもたくさん乗せてもらったしね。ありがとね。
このバスが、泊浜を経由して伊里前福幸商店街へ行くのだが、最後まで他の乗客は現れず、雨の中を走り抜けたコースがどうだったか、それがさっぱり思い出せない。着いたところは、商店街ではなく、歌津駅前。
それも、BRTに乗るというと運転手さんが気を利かせてダイヤを確認し、歩かなくていいようにコースを変えて運んでくれた。そのおかげで、ほどなくやってきたBRTバスに余裕で間に合った。
南三陸町のみなさん、ありがとうございました。
おっと、まだ仙代崎(せんしろざき)があった。
ここまでが南三陸町で、それはBRTで市境を越えて気仙沼市に入ったところで見えるかもしれない…。それも実は、きわめて大甘の観測に過ぎなかった。
仙代崎も幅があり、先端部分が見えにくい。だが、そこには道もないので、やはりどこかから遠望するしかない。だが、気仙沼市の本吉町に入ったバスの車窓からでは、海岸線が開けた場所が狭く、ちょっとムリだった。
それは予想できたので、もともと末の崎から見えるだろうと計画では考えていた。
ところが、これが予想に反して、まったく西側も展望が効かず、そこから仙代崎は見えなかったのだ。わずかに見えたのは、田浦の無名の岬と、その先にある松島という島の一部だけだった。
そんなわけで、仙代崎もまったく失敗の岬めぐりとなってしまった。
だがしかし、この岬はいったいどこからなら確認できるのだろうか。
気仙沼市本吉町の側からでは、ほかにそういう場所はない。やはり、末の崎で藪をかき分け断崖を覗くところまで出るか、あるいは北の沢のバス停だった峠から、あの女性の家の裏を抜けて、延々歩いて小さな無名の浜まで出れば、仙代崎は見えるのかもしれない。だが、それに再挑戦する日があるという可能性ははたして…。
掲載漏れの写真が、もうひとつ。平棚の末の崎への上り道、その傍らにあった「波来の地」という、新しい石標。この地点がだいたい20メートルちょっとくらいの場所。これをほかのところでもみたのだが、それがどこだったかも思い出せない。
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
38.747202, 141.539452
東北地方(2013/07/03訪問)
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