981 歌津崎=本吉郡南三陸町歌津(宮城県)神社マークも灯台マークも揃っている細長い岬は雨の浜からの遠望で [岬めぐり]
葛西氏の出城が、この半島で最も大きな歌津崎ではなく、伊里前湾の内側の小さな館崎のほうに置かれたのは、主要街道からは遠く、容易に袋のネズミ状態に追い込まれやすいという、地勢的な条件があったのだろう。あるいは水の確保がしにくいという事情があったのかもしれない。
館や城はなかったが、それでもやはり番所くらいは置かなければならぬ要衝であったのだろう。
館崎の東に続く館浜から、東南方向に3キロばかり緩い弧を描いて伸びる砂浜の先、歌津泊漁港の近くには、番所という字地名が残っている。
そこからまたさらに、長い岬の先端に、歌津崎の名がついている。いちばん高いところが38.5メートル、いちばん幅のあるところで600メートル、低く細長く南に飛び出した岬の外海に面した東海岸は断崖と岩礁が続くが、西海岸は伊里前湾に面して北側半分弱くらいは、漁港や道路もある。
泊漁港の西にある籬島は、やはり小さな岩島に過ぎず、Mapionが表示しているような大きな島ではない。籬(まがき)とは、本来日本庭園などにある竹や柴などを編んだ垣のことである。これに“神”がつくと「ひもろぎ」となる。歌津崎の先端に近いところには神社マークがあって、そこまでは道があるようだ。はたして、この“籬島”の謂われは、なんであろうか。
こういうどうでもいいようなことが、いちいち気になって知りたがる人間は少ないのだろう。こういう場合、たいていはいくら調べようとしても、さっぱりわからない。町や市のホームページも、だいたいチェックする(ただし後で)ようにしているが、それでも取りあげてあるのは名所旧跡プラスアルファ程度である。
これはだいたい全国どこでもそうだが、どうも“観光”という視点が狭すぎるので、その網にはかからない地元のおもしろいことを、たくさん見逃しているような気がしてならない。
南三陸町のホームページをみると、「イベント・観光」のタグに岬では歌津崎と神割崎のふたつが項目として設けられていた。旧志津川町代表と旧歌津町代表というわけなのか。
そこには、次のような説明があった。
太平洋に突き出した半島は尾崎とも呼ばれ壮大な海の風景が広がります。先端にある尾崎神社は勧請800年余の歴史を刻む社。日の出のビュースポットにもなっています。
南三陸町ホームページ 南三陸町の見どころ
尾崎という字地名は、確かに番所の南にある。この岬の南端が、広くそう呼ばれていたのだろう。先端の神社の名前はこれでわかったが、それ以上の記述がないところをみると、さしてこれという由緒も伝わっていないのだろうか。
実際、歌津崎の長い出っ張りは高い山もなく、ほぼ平坦なように遠目には写る。緩い起伏が連続し、その中央部分には灯台のマークがあるが、バスで行った限りではそれも確認できない。
帰りの町民バスは、泊まで入ってまた引き返す。そこから神社までは往復3.5キロもあるので、歌津崎は長い岬の付け根にある砂浜付近から眺めたところでOKとしよう。なによりも、バスの本数が少ないので、泊で降りて次の便でというわけにはいかないのだ。
町のホームページには、籬島と歌津崎のきれいな写真が載っている(「美しいリアスの海岸線を堪能する」)。風景の写真は、まず第一にお天気次第なのだが、ここを訪問したときはあいにくの雨。
だが、それ以外にも写真の撮り方の技術も、もっと勉強する必要があるかもしれない。なにしろ、この岬めぐりでは、写真はメモ代わりというのが基本方針。だから、デジカメのAUTOで、ばしゃばしゃ撮るだけのテキトーなものばかりだ。
いつも“きた!みた!印”をつけてくださる、数少ないもう古い常連さんのお一人である「(。・_・。)2k」さんが、「初心者のデジカメ教室」を開かれるとのこと。こういう教室で、一からちゃんと教えてもらうべきなのかもしれないな。
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
38.725259, 141.565587
東北地方(2013/07/03訪問)
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