974 弁天崎=本吉郡南三陸町志津川(宮城県)志津川湾の真ん中に90度に飛び出た岬の上には弁天社と観光ホテル [岬めぐり]
壊れたままの水門が残る折立川の河口を過ぎて、志津川湾に沿って進む国道45号線の途中から、南三陸も戸倉から志津川に入る。弁天崎は、この沿岸の中間で90度に飛び出した、比較的目立っている岬である。
目立っている理由はもうひとつあって、この岬の北半分はすべて「南三陸ホテル観洋」という白い大きな観光ホテルで占められている。そこはこの地域では有名なホテルで、気仙沼にも大きなホテルをもつ水産業から不動産業まで営む株式会社阿部長商店の経営である。その女将さん(ホテルで“女将さん”はおかしいか)は、いろんなところに引っ張り出される名士でもあるらしく、復興活動にも尽力しているようだ。
部屋には“阿部長グループ”を含めたパソコンでつくったホテルのニュースのようなものが、綴じておいてあり、これを興味深く拝見した。バックナンバーは、2011年3月から夏までの分が欠けていた。
大震災大津波の直後には、避難場所として使われた大きなホテルは、でんでんむしが訪れたときには観光バスが十数台も寄ってくるほどの盛業ぶりで、玄関には黒い表札ではなく大きな筆書きの団体歓迎看板が並んでいた。そのなかに“帝国ホテル御一行様”というのがあって、おもしろかったので写真に撮っておいた。帝国ホテルのどういう御一行様の団体なのかはわからないが、彼らの目にはこの南三陸地方を代表するホテルは、どのように写ったのだろうか。感想を聞いてみたい気がした。
さて、肝心の弁天崎は、観光バスの間を抜けてちょっと下ったところがそうなのだが、そこには防火用水になっている元プールがある。国土地理院の地図では、この防火用水のプールが青く小さく描かれている。拡大してみると丸でも四角でもない不定型なぎざぎざに描かれていたが、その理由はこれだったのか。
弁天崎というからには、原則的にそこに弁天さんが祀られているわけで、立派な鳥居と石造りの社殿は、まだ新しいようにみえ、脇には古い祠石が並んでいた。おそらくは、ホテルの敷地内の端にあるような弁天社は、ホテルの寄進により震災後に復旧したものだろうか。
この先は、岩場になっていて立ち入ることはできず、ホテルの敷地を出て少し南側に歩いて回り込んでみた。けれども、やはり岬は見えなかった。そのかわり、こんなものが国道45号線の脇に残されていた。
90度にカーブする国道と海岸の崖の間にホテルはあるが、ここも山から流れ落ちる尾根が、とんがって突き出している弁天崎の先につながっていたのが、国道の工事で開削されたような地形になっている。
弁天崎が海岸に出たところは、ホテルの露天風呂とバブリーなロビーから、眺めることができる。その向こうに黒く横たわっているのが、前項の松崎である。
広いロビーの北側には、結婚式に使われるらしい白いカバーを掛けた椅子がお行儀よく並んでいる正面には、大震災の流木を使ったオブジェがある。オブジェの右側が松崎と神割崎の灯台がある出っ張りで、左側手前には次の大森崎と荒島があり、遠くに見えるのは荒砥崎と歌津崎であろうか。
つまり、この湾の西海岸中央にある弁天崎から、ぐるり見える範囲が志津川湾のすべて、ということになる。
折立から神割崎までと、神割崎から観洋前まで乗せてもらった町民バスは、無料である。他所から被災地にきて、なにか申し訳ない気持ちになるが、正式には「災害臨時バス」という名で、あくまでも従来のコミュニティバス(白ナンバーのワゴン車)で、臨時に仮設住宅などを含めて町内の足を確保するためのもので、臨時に無料なのだ。もちろん、他所者だから乗せないということはない。
ホテル前で降りるというと、ドライバーはわざわざ国道の対向車線を横切って、ホテルの駐車場につけてくれた。横断するのは危ないからというのである。
確かに、45号線は気仙沼線の鉄道の線路が流されてから、唯一のルートになっており、車の往来は激しい。道路の反対側にホテルの従業員のための宿舎があるが、そこから勤務地を行き来する人は、車が途切れるのを待って走って渡っていた。
町民バスは、停留所の標識がない。こんどは観洋前からの乗り場が、わからない。運転手さんが気を利かせてくれて国道を渡ってくれたわけで、志津川方面に行くには、降りたところからは乗れないからである。
ホテルのフロントで聞いてみたが、これがなかなか要領を得ない。第一、“町民バス”というのが通じない、わからないらしい。後でみたら、ちゃんとそのダイヤは壁に掲示してあるのに…。奥のほうに引っ込んでしばらくして、やっと具体的にどこで待っていれば乗れるか知ることができた。
観光バスでどっと来る団体客と自家用車の客がメインで回っているから、電車とバスでノコノコやってきて町民バスについて質問するような、たまに紛れ込んでくるヘンな客にまで、事前に配慮する必要はないのだろう。
ここで断っておかなければならないが、町民でもないでんでんむしが町民バスに固執しているのは、料金が無料だからではない。できるだけ早く今の志津川の中心になっているベイサイドアリーナ(役場があるところ)まで行きたいからで、それに適した交通機関が、ほかにはないからなのだ。
ホテル観洋では、震災を風化させないためにと、「語り部バス」というのを走らせている。これはなかなかいい企画で、できれば参加したかったが、時間の折り合いつかない。残念ながら、そのバスの出発時間を待たずに、ベイサイドアリーナ行きの町民バスに乗った。
やってきた町民バスを運転していたのは、昨日の運転手さんで、「すぐ後からもう一台来ますから…」と言い残して去って行った。やはり、朝の通勤通学時間は、ワゴン車一台では足りないらしい。続いてやってきた車には空席があって、町民バスのターミナルにもなっている終点のベイサイドアリーナまで乗せてもらう。
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
38.657646, 141.44974
東北地方(2013/07/02訪問)
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