957 長堀鼻=新島村式根島(東京都)式根島の最北端の岬は岩の島の出っ張りでこれも流紋岩なのか? [岬めぐり]
長堀鼻(ちょうほりのはな)は、式根島の最北端の岬、というか実は岩島の出っ張りとその先っちょである。
その岩島の高さは31メートル。そこから延びる崖の続きにある式根島の港(野伏港。式根島港という港は南東部に別にある。)の岸壁に、「かめりあ丸」や新島村営の連絡船「にしき」が接岸するときに、右手の方向に見える、長々と延びた岩の端がそうである。
島へのアクセスとしては、ほかに東京の竹芝桟橋からは、東海汽船の高速船ジェットフォイルも出ているが、それも野伏港だろう。
南の港に寄ったほうから見ると、斜めに見ていることになるので、先が島になっているとはわからないほど、その切れ目はわずかしかない。
式根島は、外周12キロほどの比較的小さな島で、しかも最高点が99メートルという、遠目にほぼ平べったい島である。新島港から野伏港までは、4.6キロしか離れていないので、新島港から南南西方向に、その姿ははっきり見えている。そして、式根島の奥に見える島影が神津島になる。
前にも大島のところで書いたのだが、「伊豆七島」という呼び名は、江戸時代の有人島を数えたもので、現代には合っていない。新島村の一部になっている式根島は、そこでもカウントされていないわけだが、そもそも新島村に編入されたのだって、1887(明治20)年に伊豆諸島が静岡県から東京都に移管されてからのことだ。
周辺の他の島々と同じく、縄文時代から人が住んでいたという痕跡はあるのだが、以来一貫して人が住み続けたということがなく、時々人が出入りはするものの、江戸時代を含めて無人島の時代も長かったようだ。
新島村の一部となっている現在でも、新島とは別に“式根島観光協会”というのがあって、独自のホームページをつくって式根島の観光PRをしている。「What's しきね」というページでは、その冒頭から「う~ん? 伊豆七島って?? とあなたも思ったのでは?」と書いている。その歴史についてふれたページでは、無人島になった原因として、次のような推測をしている。
恐らく、平安時代の神津島天上山噴火、新島向山噴火の影響によって人跡が途絶えたものと思われます。
なるほどなるほど。それは、きっとあたっているのだろうと思われる。
およそ1万6000年くらい前の海底火山の噴火活動でできたとされる式根島の地質は流紋岩で、これは新島と同じである。
昔は新島と陸続きだったという説は、そういうところからもきているのだろう。
では、そもそも流紋岩って、どんなもの?
シロウトはすぐにそういう素朴な疑問をもつ。そして、そういうときには、まずWikipediaなどを参照してみたりするものだが…。
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
34.338265, 139.210374
関東地方(2013/03/23〜24訪問)
タグ:東京都
観光としては温泉の島でしょうか
by いっぷく (2013-06-03 13:13)
知らない事ばかりでした、有難うございました。
by ばん (2013-06-03 20:12)
@いっぷく さん、溫泉は4つくらいあるようです。ほかには、やはり海水浴とか釣りとか、でしょうか。
by dendenmushi (2013-06-04 21:16)
@ばん さん、東京都とはいえ、やっぱりだいぶ離れているし、島だし…というわけで、でんでんむしも初めての訪問で、いろいろ勉強させてもらっています。
by dendenmushi (2013-06-04 21:19)