926 網代崎=瀬戸内市牛窓町牛窓(岡山県)ごめんなさいねどうも“日本のエーゲ海”にこひっかかってしまって… [岬めぐり]
網代(あじろ)は、ヘギなどを組みあげて模様に編んだものを称し、和風建築の天井や垣根などの意匠にもその名がある。熱海の網代は地震情報でもおなじみだが、もともとは川の流れに竹や木を組み合わせて編んだものを網の代わりに立てめぐらせる漁法がその語源であろう。
“日本のエーゲ海”牛窓の網代崎は、牛窓の町並みの前に横たわっている前島の東端にあたる。その姿は、実は924の鰡網崎の項に掲げた写真にも写っていたのだが、牛窓神社の下、牛窓海水浴場からはもう少し近くに眺めることができる。
ただし、これもまた厳密に言うと、前島の最東端はこの角度ではちょっと陰に入ってしまう。岬の先端がポコンと丸く飛び出しているが、標高38メートルほどの小山で、国土地理院はこの出っ張りの東側に網代崎の表記をつけている。
いちゃもんをつけるつもりはなくても、冷静に考えてみると結果的にはそうなるかもしれない。再び、“日本のエーゲ海”についてである。
多島海のことは、日生の付近で瀬戸内海は多島海だと書いていたのだが、エーゲ海がまさにそうである。
そこに行ったことはないのだが、白い建物に青い海でおなじみの風景は、しっかりと焼き付いている。このエーゲ海はギリシャとトルコに挟まれた海域で、とくにクレタ島がフタをしたような南部には、たくさんの島々が浮かんでいる。狭いところでも、ギリシャとトルコの間、その東西は200キロにわたる。牛窓と南の高松との間は、小豆島を挟んでせいぜい31キロメートルなので、とても瀬戸内海とは同縮尺での比較はできないのだが、あえてGoogle Mapを並べてみる。
つまりは、もし“日本のエーゲ海”をなんとしても言いたいのであれば、それは牛窓町にではなく、せめて瀬戸内海全体について言わないと、対象としてできるイメージがまったく違ってしまう。そのため、牛窓の景色を見ても、「おおっ、これが日本のエーゲ海だ!」という感動は、どう奮い立たせようとしてみても沸いてこないのだ。
牛窓のなかでも、この幡港という港がある東町地区(そういう呼び方は現在の地図上では必ずしも一般的ではないようだ)が、昔の名残りを少しは留めているようだ。その記憶を、その地域の地図で示そうと看板が立っていた。この看板では南の本町地区と合わせて、“しおまち唐琴通り”となっている。
幡港は、昔ながらの木造船の造船基地だったところらしく、現在もその名も「草木造船」という造船所があり、ほかにも町の中に造船関連らしい看板をみかけたが、営業しているのかどうかは不明のような雰囲気だった。
この町でも、車は通るが人影を見かけることはまれで、静まりかえる町の上に急に黒雲が垂れ込めてきた。ひと雨くるかと覚悟をしたが、ぽつぽつしただけでなんとかもってくれた。
港の岸壁には、蛸壺が積んであった。これも備前焼なのか。蛸壺漁は、瀬戸大橋が通る下津井付近でも昔から盛んであった。そういえば下津井の燈籠崎の項目でもふれたような気がして、以前の項目を探してみたが、そこではなにも書いていなかったし、下津井港の蛸壺の写真はボツにしていたようだ。鷲羽山の久須美鼻の項(105 久須美鼻=鷲羽山(岡山県)ここは松の岬)で、駅弁がらみで最後にちょっとでてきただけだった。
この地域の蛸壺は、全体が丸くなく、一面が平面になっている。これは海底での安定性を追求した結果であろうか。
網代崎から西へ2.6キロ、次の岬は同じ前島で、牛窓瀬戸の城ヶ鼻である。
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
34.61629, 134.201241
中国地方(2013/02/06訪問)
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