SSブログ

922 生崎=備前市浦伊部・備前市久々井(岡山県)入江のほとりから西に遠くにみるのは「おぼざき」か「うぶざき」か [岬めぐり]

obozaki01.jpg
 「ところで、備前焼の伊部ってどのへんなの?」という人があれば、「ほら、山陽新幹線で相生と岡山の間の岡山寄りに、池の中を走るところがあるでしょう? あそこよ」と教えてあげるとわかりやすいかも知れん。
 もっとも、新幹線でも乗るとすぐカーテンを引いてしまう人には、これでは通じないが、池の北側には赤煉瓦の四角い煙突なども目立っているので、トンネルの多い山陽新幹線では印象に残る景色である。北の医王山と南の龍王山に挟まれた池の東側の狭い地域が伊部駅もある中心で、そこから東南東方向へ1.7キロで片上湾に出る。
katakamiwanM.jpg
 湾の南岸山に沿った狭いところに、九州耐火煉瓦の工場が延びている。駅の東から湾に沿って生崎の先端までが、備前市浦伊部である。伊部にも海があるんよとでも言いたげな地名になっている。
obozaki02.jpg
 そして、片上湾が西に奥まって、ぐっと狭い水路に変わるとっかかりにあるのがこの岬である。生崎(おぼざき)もまた境界線上にある岬だが、こちらは市境ではなく字地名の境で、東から見ると左半分が久々井で右半分が浦伊部。柴田錬三郎の故郷である鶴海への陸路も、この浦伊部の湾岸を経て峠をふたつ越えて行くことになる。
obozaki08.jpg
 片上大橋から井田村まで歩いて戻り、そこから片上行きのバスを待てば、湾の北側を走るバスからは、生崎も見えるはずであった。ただ、北湾岸も道路と湾のわずかな隙間に、切れ目なく工場などが続いているようだ。
 工場の建物は大きいので、これに遮られて岬も見えない可能性が大である。それならば、保険の意味で遠望になるが井田村からの写真も撮っておかなければならない。
obozaki06.jpg
 そう思って、スーパーマルナカと道の駅のような施設がくっついているところまで戻ってから、北へ井田村のバス停まで歩きながら入江の奥に生崎の姿を探す。
 ブルーラインの備前インターチェンジを過ぎるあたりから、片上湾の真ん中にでーんとある前島の北端をかすめて、なんとかその岬は見える。
obozaki07.jpg
 穂浪と浦伊部の間には、いちばん狭いところでは幅250メートルしかない細長い海面が、品川白煉瓦の工場もある西片上まで続いている。
obozaki04.jpg
 井田村というバス停の名前もおもしろいが、ここからは前島の向かいにある穂浪の漁港と集落が見える…と言いたいところだが、それを覆うようにして、高い煙突をもつこれまたセラミック関連らしい名のセラテクノという会社の備前工場が手前に大きく展開している。
obozaki05.jpg
 そこまで歩いて行けば、正宗白鳥の生家跡だとかもあるのだが、それもめんどくさいので井田村で次のバスを待つことにする。
 だいたい、いわゆる純文学が苦手なでんでんむしは、日本文学は高校時代で凍結されて終わったままでいる。著名な文学作品のいくらかは読んで、多くの文学者の名前も知ってはいるが、いまひとつピンとくるものがない、入り込めなかった世界である。
obozaki09.jpg
 文化勲章受章者で自然主義文学の大家と称される正宗白鳥(1879〜1962)も、『何処へ』も『入江のほとり』も、当時はだからなんなんだという程度の感想しかもてなかったものだが、ここへ来るとやはり郷土の偉人である。生家跡には、その一節を刻んだ碑もあるという。
 地元で代々網元という分限者(富家)の家に生まれた彼は、確かにいくつかこの片上湾付近を背景にした作品も残してはいるが、もともとそんなに故郷に思い入れが強かった、故郷の風景をたくさん描写しているという作家ではないと思う。
 唯一ともいえるのが『入江のほとり』(だから碑文に使えるふさわしいものもそれしかなかった?)なので、地元の偉人に敬意を表して、そこから昔の入江の雰囲気を味わってみることにしよう。
 
 西風の凪いだ後の入江は鏡のやうで、漁船や肥船は眠りを促すやうな櫓の音を立てた。海向かひの村へ通ふ渡船は、四五人の客を乗せてゐたが、四角な荷物を背負うた草鞋脚絆の商人が驅けて来て飛乗ると、頰被りした船頭は水棹で岸を突いて船を辷らせた。
 
 正宗白鳥が『入江のほとり』を書いたのは、1915(大正4)年である。「肥船」というのが、いかにもの感じがする。「海向かひの村」とは、久々井であろうか、はたまた鶴海であろうか。渡船も当然動力船ではなく、手漕ぎ船である。「眠りを促すやうな櫓の音」も、ギィコギィコという懐かしい音が聞こえてくるような気がする。
obozaki03.jpg
 この入江を挟んで、“自然主義文学の大家”と“大衆小説の大家”の故郷が向き合ってあるのもおもしろい。
 やってきたバスに乗って、その穂浪の町を抜け、生崎の近くの対岸を片上に向けて走る。その入江のほとりには、ぎっしり耐火煉瓦工場などの大きな建物が建ち並んでいて、予想したとおりやっぱり生崎は見えなかった。結果として、保険が効いた。
obozaki11.jpg

▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
34.726289, 134.205023
namasakiM.jpg
dendenmushi.gif中国地方(2013/02/05訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ
タグ:岡山県
きた!みた!印(38)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 38

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました