SSブログ

886 磯崎鼻=糟屋郡新宮町湊(福岡県)途中で打ち切られて終着駅になった駅から長い砂浜の岬と沖の相島を見に行く [岬めぐり]

isozakihana08.jpg
 地下鉄にも接続している西鉄貝塚線で、和白から干潟の海に別れを告げ、さらに北へ行く。すると、三苫、美和台という大きな住宅団地が広がる台地がある。その団地を載せた台地が終わるところの西の端は、玄界灘に面して40〜50メートルほど急に盛り上がった小さな山塊が南北に延びていて、磯崎鼻は60メートルの最高点の北端にあたる。
isozakihana02.jpg
 サーフボードと一緒に乗っている人もいるレトロな雰囲気も充分な西鉄の電車が、大団地の間を抜けるところで、福岡市から糟屋郡新宮町(まち)に入る。新宮町に入ると地続きの団地も湊坂と名前が変わる。だが、地図で見ると市と町の境は団地内の道路ではなく、団地内の区画の間を複雑なでこぼこを描いて走っており、敷地を接した垣根の向こうのお隣さんが福岡市だったり新宮市だったりすることになっている。
isozakihana01.jpg
 緩斜面の団地が終わると、湊川を越えて西鉄新宮駅に着く。この路線は、ここで終点。終着駅(または始発駅)の貫禄もないさっぱりした駅は、いかにもこの線路が唐突にここで打ち切られたような、そんな印象さえもった。
isozakihana04.jpg
 駅から住宅の間を抜けて、海のにおいを辿って行くと、大きな松林の丘が横たわっていて、その間にある道を入るとすぐに「新宮神社」の鳥居がある。さては、これがこの町の名の由来かと思ったが、別にあるらしい磯崎神社との関わり、祭神も紀州新宮から熊野神をもってきた説と住吉の祭神を祀る説とがあって、どうも確かなことはわからないらしい。
isozakihana05.jpg
 松林を抜けると、広い砂浜が小さな砂丘を伴って長く展開している。その左手に、磯崎鼻と漁港がある。その地名が湊というので、古くからの船着き場が西風を磯崎鼻が遮ってくれるこの場所に続いてきたのだろう。
isozakihana12.jpg
isozakihana06.jpg
 現在でも、ここから町営渡船『しんぐう』が、砂浜正面7キロほどの海上にある相島(あいのしま)との間で運行している。
 三日月型をした相島は、博多湾周辺で独特の役割を担ってきた。そのひとつが鎖国中の江戸時代にあって、福岡藩がこの島を朝鮮通信使の送迎場所として300〜500人といわれる大使節団をもてなした。そのために井戸を掘るなど、費用は全部自腹で福岡藩も大変だったらしいが、確かに鎖国中に船で半島からやってくる外国使節を迎えるに適した地の利はある。
isozakihana10.jpg
 広く福岡湾岸一帯がそうだともいえるが、古くからの半島との関わりを示す遺跡遺物もある新宮町のこの小さな島には、そればかりか積石塚と呼ばれる古代(4〜7世紀頃)の墓が円墳や方墳合わせて254基もあるのだという。その出土品にも半島様式の須恵器などがあり、これらの主は海人族であったとする推測もある。それは、目と鼻の先にある志賀島の龍神族のこととの関連が容易にでき、湊川の河口には同じ志賀島の志賀海神社と祭神を同じくする綿津見神社があることなどから有力視される。
isozakihana07.jpg
 これらも帰ってきてから知ったことで、それなら相島まで渡船で行ってみてもおもしろかったのに…。やっぱり、もう少し下調べをしてからコースを組むように考え直したほうがいいのかも…。
isozakihana11.jpg
 砂浜の北には新宮浜が続き、福岡藩が防風防砂のために植林した松林が2キロにわたっている。緩く湾曲する先の遠くには、福津市の津屋崎が張り出している。
 波と風と雲以外、動いているのはバイクでやってきて砂浜で一人ゴルフクラブを振っているおじさんと、遠くの砂丘で撮影かなにかをしているらしい数人の人影だけである。
isozakihana09.jpg
 人口 27,119人、10,234世帯、主な特産品はみかんという新宮町は、福岡市という大都市のベッドタウンとして、人口も増加してきた。平成の大合併には乗り遅れた今、この町は南の福岡市と合併するのがいいか、それとも北に隣接する古賀市と一緒になるのがいいか、意見集約が始まっているらしい。
 広域経済圏として福岡都市圏に属する糟屋郡は、南から福岡空港の西に隣接する志免町(しめまち)、宇美町(うみまち)、須恵町(すえまち)、粕屋町(かすやまち)、篠栗町(ささぐりまち)、久山町(ひさやままち)、それに新宮町(しんぐうまち)の七町のいずれも小さな町ばかりである。このうち、唯一海岸線をもつ新宮町を除く六町は、任意合併協議会を設けたが具体的な動きには至っていないようだ。
isozakihana13.jpg
 西鉄新宮駅に戻ると、駅の北側にある広い駐車場のあるバス乗り場で、津屋崎行きのバスを待つ。この後、津屋崎へ行って乗ったタクシーの運転手さんに聞いた話では、かつては津屋崎まで西鉄線が走っていたのだそうだ。このバス路線はその代替線であった。
 なるほど、それでこの駅で唐突に線路が打ち切られたのだ。それ以前は津屋崎の神社の名をとって宮地岳線といっていたのが、貝塚線になったのは2007年というから、そう昔のことではないのだ。

▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
33.718521, 130.422096
isozakihanaM.jpg
dendenmushi.gif九州地方(2012/10/29訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ
きた!みた!印(33)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 33

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました