879 砂崎=茅部郡森町砂原(北海道)“さわら”の“すなざき”は平たい砂地の岬と灯台があるめずらしいところ [岬めぐり]
渡島砂原(おしまさわら)の駅も、鹿部と同じような赤い屋根の小さな駅舎で、駅の周囲にはなにもない。
ここから278号線を越えて、横に長く展開する砂原の町並みがつきる東端まで、ひたすら歩いて行く。ところどころにあるバス停の標識では、次に森駅に行くバスの時刻を確かめながら歩いて、やっと人家がすっぱりと切り落としたように途切れるところまでやってきた。
地図でもはっきりしているように、一本の道路が、それまで続いてきた人家と、東に広く展開する未利用地(荒れ地ともいえないし、湿地でもないし、ましてや農地でも牧場でもない。どう呼んでいいのかわからない)をきれいに分けている。これこそが、今に残る「砂原」の名残なのであろう。
ここは、駒ヶ岳のスロープから砂地が丸く延びたところで、その先端にあたるところに赤と白のだんだら灯台が立っている砂崎(すなざき)。灯台に向かって、電柱と電線が一筋延びている。
この砂崎灯台は、名前の通り、砂地に建てられためずらしい灯台だから、岩も山も崖もない。岬も、砂州などに名前がつくことがあるが、あまり多くはない。北海道では、厚岸にも同名の岬がある。
バスに間に合うように戻らなければならないので、灯台まで歩いて行くことはできず、途中から引き返す。山のほうを見ると、駒ヶ岳は相変わらず厚い雲の中である。
森町のホームページに、砂崎を俯瞰した航空写真を載せているページがあった。こういうふうに見なければ、この岬の全貌はわからない。
2005年に森町と合併するまでの旧砂原村は、噴火湾に北面する砂浜に沿って長く東西に広がった、ニシンやコンブなどの漁業を中心に営む集落であったろう。一時期には、砂原番所が置かれるほどの賑わいもあったようだ。
この村のそもそもの成り立ちについては、はっきりと記録があるようで、1532(天文1)年、蟹田村(現在の青森県東津軽郡外ヶ浜町蟹田)から権四郎らが移住して開村したと、町のページには明記されている。
でんでんむし的勝手な想像だが、今から480年の昔、陸奥湾の蟹田から船で海峡を越え、恵山を回って北上しながら適地を探してきたであろう移住者の眼には、茅部の断崖が続く海岸の後で、内海に面して広がる長い砂浜は、やさしく受け入れてくれる地と思えたに相違ない。
その縁で、現在も外ヶ浜町が森町の姉妹都市となっているが、森町のほうでも同名同音の「もりまち」がとりもつ縁ということで、石松もびっくりかもの遠州の森町を姉妹都市としていたので、現在もふたつの姉妹都市を持っている。
「ちょう」ではなく「まち」と呼ぶ自治体は、北海道内で唯一この森町だけなのだそうだが、その町名の由来がおもしろい。これがまた、アイヌ語源からきているのだが、「オニウシ」というアイヌ語の意訳、つまり「樹木の多くある所の意=森」から「森町」がでてきたという。こういう由来の仕方もあるのだ。
長い砂浜には、現在ではいくつもの港ができ、護岸で固められ、市街地が発展しているが、砂崎から西にかけても、岬と称しているわけではないが字地名として、度杭崎(どぐいざき)、長瀬崎、掛澗度杭崎(かかりまどぐいざき)、小石崎と、いくつもの「崎」が残っている。
これらは、長い単調な砂浜にも、なんらかの目印が必要だったからであり、また“杭崎”というのは、砂浜に築港してきた経緯を示すものではないだろうかと、想像はふくらむ。
砂崎は、森駅や森町鷲ノ木町の北の端、湯ノ崎からも、細く波間に消え入りそうに見える。そういえば、北海道では圧倒的に「岬」が多いのに、黒羽尻崎から湯ノ崎までは、ずっと「崎」ばかりが続いてきた。これもどういう理由によるものか。
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
42.137495, 140.712309
北海道地方(2012/09/05訪問)
渡島砂原の港の手前に今は亡き母の実家があった。
遠い遠い記憶です。ありがとうございました。
by 咲子 (2019-05-31 20:06)
咲子さん、コメントありがとうございます。岬めぐりの項目がたまたま自分の思い出や身近な場所だったりすることは、充分にありうることで、たまたまそうしたコメントをいただくと、こちらも嬉しくなります。
その場所と縁のある人との接触があると、古い昔のブログも急に活き活きとしてきて、あああのときこうだったなと思い出されます。場所と人との繋がりも、具体的に見えてくるような感じがします。
by dendenmushi (2019-06-01 10:42)