863 小歌岬=久遠郡せたな町大成区都(北海道)乙部から八雲そしてせたな町は大成区の岬めぐりはここがひとまず終点 [岬めぐり]
函館のバスターミナルから江差行きの函館バスに乗り、江差病院前で降りて、江差からやってくる大成学校前行きのバスに乗り換え、とうとう終点までやってきた。函館から通しで勘定すると約3時間半、江崎病院前からは1時間半バスに乗り続けてきた。
このバスは大成学校前が終点だが、ネットで見た乙部町のダイヤでは、折り返し便は第二富磯という停留所から出るように掲示してあった。それで、江差行きの次の便が出るまで15分くらいしかないので、バスの運転手さんに念のため確認してみると、早朝二便と昼一便だけ、この先の富磯から出る便があり、昼の便はちょうどこのバスが着く頃に大成を出るという。そして、「それじゃこれあげましょう。また変わるんだけどね」と函館バスの時刻表を鞄から出してくれた。さらに「富磯へ行くなら、前のバスに待つように連絡しますよ」と言う。
さあ、ここでわずか数十秒の間に、頭をフル回転させて、どう返事するかを判断しなければならない。
というのも、この先には日昼岬と添泊岬があるのだが、そのバスがどこまで行くのか(富磯のバス停がどこにあるか)わからないし、そうすれば小歌岬へは行けなくなってしまう。たとえ15分でも、まず小歌岬へ行っておいたほうがいいだろう。そこから北の富磯や太田へは、どのみちもう一度出直さなければ、帆越岬が見えるところまでは行くことはできまい。
そう考えて、「いや、いいです。大成学校前の終点で降ります。」と答えた。
しかし、やはり15分は短い。急ぎ足で、住宅の間の坂を下り、岬の方角に向かうが、すぐに道が切れてしまう。遠回りして道を探す余裕はないので、そのまま突き進むと、すぐに畑に行く手を遮られてしまった。
でも、ここが小歌岬の上であることは確かなのだ。すると、あのかわいらしいのが、小歌岬の灯台なのか。
さらに辺りをうろついていると、白い杭の標識があった。小歌岬遺跡の跡を示す標識だった。和人よりも、アイヌよりも、もっとずっと前から、この岬の上の開けた明るい台地を選んで、人の暮らしが連綿と刻まれてきたのだ。
寒がりやのでんでんむしには、こんなところでどうして冬を越したのだろうと、こんなときはいつもすぐにそっちのほうに思いが引かれてしまう。そうしていつもたどり着くのは、“この地域も大昔は今ほど寒くなかったのではなかろうか”という根拠のない結論で、自分を納得させているのだ。
折り返して富磯を出たバスが、戻ってくる時刻が迫っている。バス停まで戻らなければならない。この日は、そのバスで貝取澗まで引き返して一泊する予定だ。
思いは残るが、どうせまたここへはもう一度来なければなるまい。ただ、いくら通行量が少ないとはいえ、2キロ近くもある帆越山トンネルを歩いて抜ける気にはならないので、なにか方法を考えねばならないのだが…。
今回やってきたことで、ひとつわかったことは、この地域の高校生などは北桧山の学校に通学しているということだった。同じ町内だから、当然そうなのだ。運転手さんにもらった、函館バスの時刻表を見ると、富磯や大成から出るバスは、江差へ向かうのもあるが、もっと距離の短い久遠線がある。本数はやはり日に四便と少ないが、こっち側から考えれば、太田への道も開けるかも知れない。
前項で触れたように、この道道740号線は、太田で行き止まりになっている。それは、ここには海のそばに標高816メートルを頂点とする毛無山の山塊が、どっかりと居座っているからで、その北にある北桧山の太櫓地区とは、完全に遮断されていた。海岸の道は、現在でも遮断されているわけだが、なんとか久遠郡から太櫓郡へ至る道を切り開こうと努力した古人がいた。
1850年代の後半頃(安政年間)、江差の鈴鹿甚右衛門と津軽の松前屋庄兵衛という二人の商人が、難所の太田山の東に山を抜ける迂回路(太田山道)を、私費を投じて切り開いた、というのだ。現在の太田山は、海岸の太田神社から東にある485メートルのピークを指すが、昔は毛無山山塊のことを太田山と称していたらしい。
利に敏い商人だから、当然自分たちの商売のための投資でもあったろうが、そうして道を開いてくれた先人のお陰で、今では国道229号線が、その古い道をなぞって走っている。
“追分ソーランライン”の国道229号線が、久遠の手前の宮野から海を離れて山に分け入っていくのは、とにかくそういうわけなのである。
▼国土地理院 「地理院地図」
42度13分19.27秒 139度48分52.74秒
北海道地方(2012/09/03 訪問)
タグ:北海道
バイクで北海道を走り回っていた頃、国道229が何故山側に入り込んでいるのか不思議でしたが、そういう歴史があったのですね。
by Rifle (2012-10-24 19:44)
@Rifle さんもそうでしたか。でんでんむしにはそんな経験はないけれども、わかい頃にバイクで北海道一周とかしたという人、多いようですね。
229号もバイクで風を切って走るのは、気持ちがいいでしょうね。
by dendenmushi (2012-10-25 14:17)
第二富磯・・・。20年ほど前に木古内町から瀬棚町へバスで辿った際に立ち寄りました。狭く曲がりくねった海沿いの道を運転手さんが巧みに走り抜け、終点 第二富磯へ・・・。私1人を降ろしたバスは回転所へ向けて走り去り、折り返して来るまでボーっと海を眺めました。夕方の便だったので丁度日没時。美しい夕日を鮮明におぼえています。また行きたいな~
by 中年にいちゃん (2017-07-26 16:47)
@中年にいちゃん さん、「第二富磯」に反応していただき、ありがとうございます。20年前にバスで行かれていたとは…。
でんでんむしも、積み残していた第二富磯まで、ついに行ってきましたよ。茂津多岬3も終わりましたので、この後2017年7月末の新規項目アップで、取り上げる予定(もうすぐですよ!)なので、ぜひご覧いただければ、20年前とおそらくそう変わらない風景が…。
by dendenmushi (2017-07-29 10:03)