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857 ポンモシリ岬=二海郡八雲町熊石関内町(北海道)熊石の海岸線には北前船や津波の記憶はあるが「熊石」はない [岬めぐり]

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 そんなこんなの熊石町に入ってきた。立待岬からポンモシリ岬まで、およそ17キロに渡って、この海岸線は、少しだけ弓なりになりつつ北西方向へ延びている。この間にいくつもの集落が、途切れ途切れにまたあるときは連続してあり、何本もの小さな川が流れている。
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 岬は、この町では両端にある立待岬とポンモシリ岬の二つだけで、途中にはない。ということは、八雲町ともこれでお別れになる。今回は、旧熊石町中心に見てきたので、八雲町東海岸の噴火湾側についてはふれていない。しかし、そちら側には岬はひとつもないので、八雲町の次回はないことになる。そこで、ものしりのChinchikoPapa さんから、またコメントをいただいたので、それを紹介しておこう。
 それによると、「北海道の八雲町は、出雲神の大好きな目白の徳川義親が、旧・藩士たちを入植させたのでそう名づけたのでしたね。先に亡くなりました孫の徳川義宣(よしのぶ)も一時期、八雲町で勤務していたようです。」ということだ。
 北海道の地名には、アイヌ語源が多いのは当然として、もうひとつはこの例のように入植者のルーツを記録した地名も多いのである。本土と同じ地名表記があるときは、多くの場合そのようだ。
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 ポンモシリ岬は、八雲町熊石地区の西の端で、せたな町との境界線のすぐ内側に位置している。
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 熊石関内町の集落と漁港のそばで、丸く出っ張った丘の上には、よく見ると黒白のだんだら灯台もある。その下には、広く岩礁地帯が展開している。
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 “ポンモシリ”とは、アイヌ語で“小さな島”なのだというが、同じ名の島が利尻島にはある。ポンモシリ岬も、付近の岩礁地帯にある岩島からついた名前なのだろうか。
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 熊石の海岸線は、立待岬から八雲へ通じる227号線と並行する見市川までは、ほぼ北西に向かって延びているが、見市川からこの岬までは、ほぼ西に向かっている。そのため、ポンモシリ岬は、遠くからでも結構目立っていて、長々と突き出した岬のように見えている。
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 実際は、道路を走っているとほとんどわからないようなカーブと、小さなぽっこり小山の岬なのだが、周囲の地形によっては堂々たる姿で、岬も微妙な見え方の変化をする。
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 江戸時代には、松前からこの熊石付近の海岸一帯は、和人の領域だった。だから、例の北前船も、ここ熊石までは来ていた。その後もだんだんと北へ広がっていくのだが、元禄期には熊石番所があり、蝦夷地管理の重要地点であったという。
 1741(寛保1)年には、松前から熊石にかけての和人の領域全域が、10メートルの大津波に襲われ、住民の3分の1が死亡するという大災害が記録されている。熊石相沼の無量寺には、その記録と“寛保津波の碑”があるという。
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 その津波は、地震ではなく、渡島大島の噴火によるものだったらしい。渡島大島とは、松前の西60キロの海上に浮かぶ島である。
 この付近で津波といえば、1993(平成5)年7月に奥尻島を中心に大被害をもたらした、北海道南西沖地震のことは、まだ記憶に新しい。
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 奥尻島は、熊石から西の沖にある。その島影が、熊石町に入ると徐々にぼんやりとながら見えてくる。ポンモシリ岬からだと、奥尻島の南端の青苗岬の間は約40キロくらい離れている。この北へ行くと、もっとその間は狭くなるのだが、この海域にも「奥尻海峡」という名がついていることを、初めて知ったが、地図には普通記されていない。
 立待岬からポンモシリ岬までの間に並んでいる字地名?は、旧熊石町の字名の上に「熊石」をいちいちくっつけた名に、またいちいち「町」がついているので、妙にバカていねいである。山の中はおいて、海岸に並ぶ地名だけを拾ってみると…。
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 南から、熊石折戸町、熊石相沼町、熊石館平町、熊石泊川町、熊石黒岩町、熊石見日町、熊石鮎川町、熊石平町、熊石雲石町、熊石鳴神町、熊石西浜町、熊石関内町、といった具合。
 これだけ「熊石」「熊石」と連呼されると、“ここにはきっと熊の形をした石でもあるのだろう”と、誰でも思うだろう。確かに「熊の形の石」はあるのである。
 しかし、ところが、どっこい、なぜか、それが「熊石町」にはないのだ…。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度7分59.61秒 139度55分20.53秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2012/09/02 訪問)

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タグ:北海道
きた!みた!印(43)  コメント(9)  トラックバック(2) 
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コメント 9

いっぷく

北海道の海はやはりきれいですね。
青の色が違うように思います。
やはり人が少ないと汚されることもないので
きれいなままなんでしょうね。
by いっぷく (2012-10-12 02:27) 

dendenmushi

@いっぷく さん、旅人なら「ここでいっぷく…」と思うようなところが、随所にありますね。
そうですね。なぜ汚れるか、なぜ汚くなるか、それはみんな人間がいるから、なんですかね。
幸い、前回と違って今回はお天気に恵まれたので、海も空もきれいに。
by dendenmushi (2012-10-13 04:48) 

ぱぱくま

穏やかでキレイな海を見てると奥尻島のあの津波の事が
嘘のようですよね・・
by ぱぱくま (2012-10-13 11:02) 

ナツパパ

北海道の9月とは思えないような空と陽差しです。
今年は暑かったんですねえ。
by ナツパパ (2012-10-13 11:21) 

dendenmushi

@ ぱぱくま さんと、 ナツパパ さん。久方ぶりのそろい踏み、ありがとうございます。
この頃は、ちょうど東京でも酷暑が続いていた時期でした。それで、北海道へ行けば、少しは涼しくなるだろうと、そう思いました。
ところが、なんのなんの。札幌など最高気温が東京とほとんど変わらないくらい、北海道も暑かったのです。
奥尻島はねえ、ここまできたら行ってみたかったのですが、やはり島は後回しということにしました。
フェリーが、江差からは日に二便、せたなからは日に一便出ているのですが、やはり二日仕事になります。
by dendenmushi (2012-10-14 05:07) 

ChinchikoPapa

コメントをご紹介くださり、ありがとうございました。
わたしは、それほど物知りではありませんが、たまたま同地域の目白で2005年に亡くなった、美術史家の第21代・徳川義宣さんの本を読んでいました。
翌2006年に出版された『徳川さん宅(ち)の常識』(淡交社)という本ですが、その中で八雲町の様子や現地での仕事の思い出などをつづった箇所が出てきますね。
by ChinchikoPapa (2012-10-14 20:53) 

dendenmushi

@ ChinchikoPapa さん、いつもありがとうございます。854項に続いて、また使わせていただきました。
目白には徳川さんちがありましたねえ、そういえば。淡交社から出すというのもいかにも…。
それと、わたしの知り合いでは、一人くらいしか思い浮かびませんが、落合という地域には、ほんとにお金持ちと芸術家と、いろんな人がいたんですねえ。
by dendenmushi (2012-10-15 20:28) 

えんや

写真  圧巻です。
親子熊、、、よくもまあ~ですね。
by えんや (2012-10-15 20:36) 

dendenmushi

@えんや さん、石巻や女川や牡鹿半島、雄勝、東松島はどうなっているのか、とても気になりますが、やっぱり用もない人間が「観光」で行くのは、はばかられるという思いの方が強いもので…。
自然は不思議だし、ときには凶暴というのがまた…。
by dendenmushi (2012-10-16 06:44) 

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