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841 御台場鼻=浜田市港町(島根県)石見人はよく自然に耐え頼るべきはおのれの剛毅と質朴とたがいに対する信のみ [岬めぐり]

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 その名前からするとこの小さな出っ張りには、浜田城の港口を守るお台場があったのだろう。江戸湾のお台場は、砲台を置くために幕府がつくった人工島だったが、ここではわずかに湾に向かって突き出た自然地形を利用したのだろう。
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 浜田城は、この岬のある高尾山から、浜田川を挟んだ東の山の上に設けられた。比較的遅いといってもいい築城(1620(元和6)年)なのに、山城(ないしは平山城か)であるのは、この付近の自然地形を利用した縄張りであったからだろう。
 浜田藩を開いた古田重治は、大坂の陣の功績によって、ここに5万4,000石を家康から与えられたが、萩に毛利が封じられたことによって、津和野藩とともに、その地勢から毛利の頭を抑える封石の役割を大きくするようになる。
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 その城下町は、道の駅がある丘の上からは、全部を望むことはできないが、浜田港の東、漁港に面したところが見える。
 御台場鼻の目の前にある島は、瀬戸ヶ島といい、そこには漁港の埠頭からマリン大橋という橋が架かっている。いくつかの島(ややこしい字が使ってあるので、名前は書かない)にも守られるようにして、浜田漁港は水産加工団地などが埋立地に並んでいるが、このマリン大橋を渡っても、その先はまた高尾山の北を回って、城下町の市街に戻ってくるだけの道しかないわけだから、この橋の意味と費用対効果には若干疑問があるように思える。
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 だが、それも瀬戸ヶ島の北では、さらに埋立が進んでいるようなので、将来に備えたものなのだということにしておこう。
 もし、山陰路への築城が長門の毛利ににらみをきかせるためであれば、益田のほうが平地も広いので、浜田より適しているようにも思えるのだが、どうもあんまり長門に近すぎるのもかえって不安というので、ここに落ち着いたというフシがある。
 この懸念が、現実味を帯びるのが、二度目の長州征伐で幕府軍が長州軍とぶつかることになる戦闘であった。
 最初の古田氏の後は、譜代・親藩の大名が入れ替わって浜田城を守ってきたが、このときの城主は松平武聰(徳川慶喜の異母弟)だった。
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 1866(慶応2)年の第二次長州征討では、幕府軍が小倉口、石州口、芸州口、大島口と四方から攻めたので、長州は四方面作戦を余儀なくされる。
 このうち石州口は、清末藩主の毛利元純をかついだ大村益次郎が、実質的指揮をとった。石州口の最初の幕府軍拠点であったはずの津和野藩は、長州の前に中立の立場を取るのだが、そのことはすでに幕府の権威もなしくずしに崩れていくことの予兆であった、とも言える。
 そこで、石州口最初の両軍の激突は、浜田城になるはずだった。ところが、浜田城主は飛地領があった作州へ逃げてしまい、敗走する軍が城と城下に火を放った。
 当然、御台場鼻に備え付けられていたであろう大砲も、役には立たなかっただろう。
 こうした歴史は、たとえそれが史実であっても、石州人にとってうれしい喜ばしいことではなく、同時にまたそれだけで浜田を語られるのも我慢のならぬことであったろう。
 市民からの働きかけもあって、城の入口近くに「浜田藩追懐の碑」が建てられたと、浜田市のホームページでは“「浜田城」歴史の散歩道”のなかで、くわしく紹介している。その碑文の執筆と揮毫の依頼に応えたのは、司馬遼太郎である。
 この碑ができたのは1989(平成元)年で、NHK大河ドラマで比較的地味な大村益次郎(村田蔵六)がスポットライトを浴びる『花神』が全国に放映され、多くの人が石州口のいきさつを知ったのは1977年(昭和52年)のことであった。
 司馬は、さすが長州を書くときとは筆を使い分けている。そこはうまく、依頼の趣旨を違えることなく、慶応2年の出来事にふれるその前に、長い碑文の前半部を使って石見人の誇りに配慮を示した。
 その碑文前半分は、こう書いている。
 
 石見國は、山多く、岩骨が海にちらばり、岩根に白波がたぎっている。
 石見人はよく自然に耐え、頼るべきは、おのれの剛毅と質朴と、たがいに対する信のみという暮らしをつづけてきた。
 石見人は誇りたかく、その誇るべき根拠は、ただ石見人であることなのである。
 東に水田のゆたかな出雲があり、南に商人と貨財がゆきかう山陽道があり、西方には長門・周防があって、古来策謀がそだち、大勢力の成立する地だった。
 石見はそれらにかこまれ、ある者は山を耕し、ある者は砂鉄や銀を堀り、ある者は荒海に漕ぎ出して漁をして、いつの世も倦むことがなかった。

 (以下略) 

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▼国土地理院 「地理院地図」
34度53分51.36秒 132度3分57.24秒
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dendenmushi.gif中国地方(2012/05/30 訪問)

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タグ:島根県
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コメント 2

ぱぱくま

こうして埋め立てが進んでいくと岬も少なくなっていっちゃいますね。関東に住んでると平たいことが普通なことだと思ってしまいますけど、列島は海と山に囲まれた土地が殆どだって事に改めて気づきます。
by ぱぱくま (2012-09-09 13:04) 

dendenmushi

@いやー、ほんとに関東平野は、日本地理上特殊とも言っていいくらいの「大平野」ですからね。
そこらに住んでいると、それが普通のように思ってしまうけれど、そうじゃないんですよね。
山陰でもところどころに、ちょっとだけ開けたところはあるのですが…。
by dendenmushi (2012-09-10 06:04) 

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