822 柁ヶ鼻=北九州市門司区門司(福岡県)学校の運動会もNHKの紅白もみんなこの源平合戦からきているのだよね [岬めぐり]
「かじ」には舵・柁・楫・梶といろんな字があるが、ここが「柁ヶ鼻」というのは船の舵取りも容易でない、潮流の激しい難所であることを示しているのだろう。柁ヶ鼻は、関門橋の下早鞆の瀬戸という、この海峡がいちばん狭くなっているところの門司港寄りにある。
潮見鼻へ行ったときには、まだしらみつぶしに岬を行くという方針がはっきり固まっていなかったため、すぐその南にあるここも見逃していた。
関門橋の下、南の出っ張り和布刈(めかり)公園の下には、ノーフォーク広場と文字ヶ関公園と地図にあるが、海側は門司東港の岸壁の一部になっている。
NHKの平成24年の大河ドラマ『平清盛』については、視聴率が悪いといってなにかとはやし立て喜んでいるむきも相変わらず多いようだが、でんでんむし的にはこのドラマは近年の大河のなかでも、おもしろいよくできたほうであると思う。とくに前年のがあまりにもひどかったので、余計そう思うのか。
清盛といえば、あまりいいイメージで語られることは少ない。よく知られ伝えられてきた『平家物語』からして、人物評などにはかなり史実と違う極端が目立っていたりするし、題名から受ける印象とは違って、いわゆる“負け犬叩き”的なところも、多くある。恐れを知らぬ専横ぶりへの批判があったことは事実であろうし、その反動で“おごる平家は久しからず”を、すんなりと受け入れさせるようにできていた。
能力と関係なしに公家がのさばるこの時代の国を預かる政治家としては、貿易の必要性や貨幣経済への道を開いたといった先見性と行動力をもった、希有の存在であったのではなかろうか。
柁ヶ鼻の対岸山口県側には、赤間神宮の赤い竜宮城のような門が見える。この門から下へは、国道9号線を越えて海につながる。
柁ヶ鼻付近の海が、いわゆる「壇ノ浦」である。「彦島はうちの社ではヒコットランドって呼んでます(笑) 」というコメントを寄せていただいたぱぱくまさんの会社があるんでしょうか、その彦島に最後の拠点を置いた平氏一門は、九州側を制圧した源氏に挟撃されるという苦しい展開になる。
この潮流の激しく動く狭い海域で、源平の戦船が激突したのは、1185(寿永4)年であったという。最初は、それでも上げ潮に乗った赤旗が優勢であったというが、潮目が変わり引き潮になって白旗が勝利を決める。
海上には、赤旗・赤符ども、切り捨てかなぐり捨てたりければ、龍田河の紅葉葉を、嵐の吹き散らしたるに異ならず。汀に寄する白波は、薄紅にぞなりにける。主もなき空しき船どもは、潮に引かれ風に随ひて、いづちを指すともなく、ゆられ行くこそ悲しけれ。(『平家物語』壇の浦合戦)
あれは、同じ大河ドラマの『義経』のときだったか、この情景をそのままに安っぽい仕掛けで写しとったテレビ画面でみたことがある。また、あれと同じことになるのなら、なんか見たくない気がする。
だが、今度の主人公は清盛である。その心配は、どうやらなさそうだ。
当初は、「なぜなら、彼はこの壇ノ浦の戦いを遡ること、なんと57年も前に亡くなっているからだ…」と書いていたのだが、それは事実誤認であった。
清盛が死んだのは1181(治承5)年で、壇ノ浦はその4年後のこと。
「これまで、なんとなく、清盛が死ぬと平氏の日没が急速にやってきたように錯覚していたのは、音戸ノ瀬戸を開くときの伝説(沈む夕日を扇で招き戻したという)のためだったかもしれない。」と書いていたのは、錯覚ではなかった。(すみません。計算間違いというか…)
もちろん、はっきりいえばなんの関係もないのだけれど、広島生まれのでんでんむしにとっては、清盛さんはいたって身近な歴史上の人物である。厳島神社もあるし、おまけに祖父から音戸ノ瀬戸の清盛塚には、うちの先祖が関わっていたという話を聞いて以来、その思いは強くなった。
関東地盤の頼朝さんともなんの関係もないが、こちらだって強いて言い立てるならばあるよ。“1192つくろう”の鎌倉幕府設立当初の屋台骨を支えたのが京から招かれた大江広元(鎌倉八幡宮の東脇にある彼の墓は、隣にある源頼朝のよりもずっと大きくて立派だ。その訳は、幕末か維新かに「ご先祖さまの墓が粗末では…」と毛利家が改修したからだ。)で、その四男が起こした毛利が、安芸国の国人から始めて長く広島・山口を地盤としていたという事実からは、きっとなにがしかの関連があったものであろう。そう考える方が、ずーっと楽しい。
関門海峡めぐりの遊覧船のガイドの話では、ちょうど昨日今日時を同じくして天皇皇后両陛下が下関を訪問中で、安徳天皇阿弥陀寺陵へも行かれたのだという。
Tシャツに染め抜かれたり、意味不明のイベント・スローガンとして使われたりすると非常に違和感が強いが、ものごとの「きずな」とは、疑いもなくなんであれ血縁・地縁がそのそもそものベースなのであり、それを思い続け伝え続けること、そのものがそうなのである。
今朝の朝日新聞の一面で、社会学者の井上隆義さんが、たいへん重要なことを述べておられたので、補筆したい。「いじめられている君へ」という欄で、今の世の中で若い人がなぜ生きづらいのか、それには「絆」や「つながり」が重視されすぎているから…ということに着目された卓見である。“人は皆つながっている”それは、ある種の理想ではあるが、現実の一部を過大評価した幻想的な世界をつくりだすだけなのだ。
33度57分26.78秒 130度57分42.08秒
九州・中国地方(2012/05/28 訪問)
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