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808 磯崎・山見鼻=東牟婁郡紀伊勝浦町下里(和歌山県)太田川熊野より流れきてわれら家居すこの里に [岬めぐり]

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 太田川の河口に近いほうの磯崎と、小さな谷を挟んでその東にせり出す尾根の先にある山見鼻は、ほとんどくっついているといってもいいくらい接近している。
 磯崎のほうは、小山もこんもりとあるが、細い道の下一帯に展開している岩磯を指しているようだ。山見鼻のほうは細長く低い尾根とその先に流れる岩場と海中に続く岩礁地帯をいうが、そこには特徴のある大きな立岩がある。
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 おそらく、その名前は、船から山を見て位置を割り出すときの目印となったところからついたものであろう。
 山見鼻の尾根の上には鉄塔が数本あるが、この上は平らに開けて、水路観測所の表記もある。なんと、ここは日本の海図の基準原点となる場所で、日本で唯一の海上保安庁の施設として、天文観測や人工衛星とレーザー測距装置による測地を行なっている。
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 遠く遡れば、熊野那智大社や青岸渡寺、那智の大滝などが集まる那智山の西懐を源流のひとつとして、多く山襞から水流を集めながら流れ下ってきた太田川の、河口の堆積地に開けた町が下里である。国道42号線の下里大橋と、鉄道の鉄橋、もう一つの橋が架かる、少し上流は八尺鏡野(やたがの=八咫烏(やたがらす)はサッカー協会のマークで一躍広く知られるようになった熊野のシンボル)という地名があり、対岸の山裾には古墳もあるというこの地は、小さいながらも歴史を重ねてきた人々の営みを感じさせてくれる。
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 河口では流れが大きく東へうねって、海岸では海と川を隔てて、丸い弧を描くように長い砂の汀が、地図ではどれもそろって描かれているのだが、ここへ来て実際の景色を見ると、川は砂浜を突き抜けて、まっすぐ海へと流れを変えているのがわかる。
 これも、台風12号のとき以来、川の流れが変わったからなのだろう。
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 下流域では、山間に田畑も開いてきた太田川の河口では、中央の広い平野に下里駅と町の中心が広がっているが、もともとは河口の右岸の高芝と、左岸の天満付近の山裾に限られていたのではないか。
 『紀伊続風土記』大田荘下里村の項では、八尺鏡野より上流の村々を記録していて、河口付近の村は少ない。そのうち「高芝」については、「本村の南、川を隔てて六町にある。太田川の川口に村して当荘及び色川郷諸村の材木の類をみな当所まで出し、当所より舟に積んで諸国に出す。よって村中廻船を専らとする。民家も普通よりは勝っている。」と記述している。
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 その右岸高芝の古い集落を歩いていると、「廻船問屋(屋号)あらや 玉置邸」という看板を掲げた家があった。“玉置”は玉ノ浦と関係があったのかなかったのか…。
 路地に「佐藤春夫ロード」という看板もあった。
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 この作家のことは、サンマの詩と、友人であった谷崎潤一郎の妻に横恋慕して譲り受け、その後にはまた別の人に譲るなどのスキャンダラスな話題でしか知らないし、いわゆる世間の常識離れしたあまり尊敬に値しない“文士”のひとつの典型ぐらいにしか思っていない。生まれは新宮だが、ここは彼の父親が医者をやっていた場所で、一時期脳溢血を患ったときには静養のため下里へ帰郷してもいる。
 日本経済新聞の「私の履歴書」では、「下里は町の主な家は佐藤一族と言うほど佐藤氏のはびこっている土地ですが、わたくしの家には一族に関する伝説があ」ると書いている。
 それによると、「佐藤氏は奥州藤原から出た佐藤の族で継信忠信などと同じ佐藤であるが、源平の時代、義経に招かれて源氏の水軍の部将として平氏を破った後、瀬戸内海の風光と気温とを愛して、再び東北の故郷には帰らず、一党とともに漁夫として紀州雑賀崎(新和歌浦の西方)につづく海岸の丘陵地帯に居住していた」のだそうである。それが、「牟婁の地方の温暖と三山の信仰とに引かれ一党とともに下里という海村に移住したというので、下里の佐藤氏の総本家は家号を雑質屋と称している。」という。
 佐藤春夫が作詞した、下里中学校の校歌はこう謳う。
    黒潮すさぶ 熊野灘 その荒波も しばらくは 
    ここにしずまる 玉の浦 海幸山幸 ゆたかにも
    われら家居す この里に

▼国土地理院 「地理院地図」
33度34分27.47秒 135度56分0.27秒 33度34分24.89秒 135度56分5.68秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2011/10/07 訪問)

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タグ:和歌山県
きた!みた!印(37)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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コメント 4

ハマコウ

地図と写真を合わせてみるとよく分かりますね
山見鼻の岩は目印としては大変にわかりやすいですね
でも おもしろいかたちの岩です
by ハマコウ (2012-06-17 07:13) 

ぱぱくま

台風で地形が変わってしまうこともしばしばありますね。
こうして日本の海岸線は変わり続けてきたのでしょうから・・
自分の足で確かめてみることは大事ですね。
by ぱぱくま (2012-06-17 13:55) 

dendenmushi

@ハマコウさん、でんでんむしは学校でもっと地図を身近なものにするような教育をすべきだと思っています。
山見鼻は、遠くからでそばに行ったわけではないので、この岩の実体がいまひとつ不明です。地図では陸続きのようになっているけど…。岩の島のようにも見えて…。
by dendenmushi (2012-06-19 05:36) 

dendenmushi

@ぱぱくまさん、大水が出るたびに、川の流れは影響を受けて変わってきていますが、このかなり長いこと固定してきたらしい砂州が切れた状態が、地図で修正されて、表記が変わることが、果たしてこの後あるんでしょうかね。
もう一度洪水があれば、どうなるか。
by dendenmushi (2012-06-19 05:40) 

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