番外:橋杭岩=東牟婁郡串本町鬮野川(和歌山県)相対性原理とは関係ない浦島式タイムマシンで… [番外]
テレビもない時代、遠く離れた地域の地理情報には、なかなか滅多なことではふれることができなかった。数少ない周りの封書から、切手をはがして集め始めたのは小学校の高学年の頃で、中学に入ってからいくつかの国立公園の切手が発行されていることを知った。
そんななかの一枚に、橋杭岩の切手があった。第1次国立公園切手シリーズの吉野熊野国立公園のうちの一枚で、額面は16円、1949(昭和24)年の発行であった。
でんでんむしが、初めて橋杭岩のことを知ったのは、この一枚の切手によってであったろう。高値をあおるブームになるとともにだんだん熱は冷めてきて、郵政省がやたら特殊切手のシリーズを乱発するようになって、ついにイヤになって止めてしまったが…。切手収集の趣味では、小さな一枚の切手からは、さまざまな想像がかきたてられ、世界が広がった。
橋杭岩については、実際に現地で実物の風景を眺めることができたのは、切手で見てから50年も後のことになった。
前回きたときには、まだ岬でないところも、ここというところは「番外」として項目を立てる、という知恵が働かなかった。
橋杭岩は、串本町の鬮野川(くじのがわ)というところの海岸に、一本の長い列になって連なる岩のことである。
○橋杭岩
橋杭岩小名橋杭の東、海の中にある。また立岩ともいう。陸から二十間を始めとして順次に海上に立ち並ぶことは、じつに橋杭を並べるがごとく海の中六〜七町の間に長くつながり続く。その数は全二十一。
海底の深さは測ることができず、海面から出る岩の高さは三間ばかりから八間ばかりにいたるものがあり、その海底からの高さを想像できる。杭と杭の間の距離はある所は七〜八間、ある所は十間余り。配置がよく、峻しく直立し、抜刀をもって削ったかのようである。まことに鬼工である。(KEY SPOT『紀伊続風土記』現代語訳 牟婁郡潮埼荘鬮野川村)
この岩の列をみて、橋の橋脚に見立てて命名したのは、まことに素直な発想からであろう。
『紀伊続風土記』では、これに続いて、古老の言い伝えとして「先年の津波のときには、海水が引いて海の底に橋杭の上に橋板を置いた形があった」という話を載せている。こういう言い伝えには、一概に否定できない面もあると、怪しみながらも書いているが、この場合は果たしてどうであろうか。
現実には、橋杭の上に板が渡っていることは自然の可能性にもないので、これは想像のうえに想像が生んだ飛躍であろう。
しかし、津波の時に海が引いてそれが見えたということに関しては、たまたま現代に生きているわれわれにとっても、…かもしれないと思うことはできる。あるいは、日頃からこれが橋の杭だと思っていれば、非常のときに板が見えたような気がする、その程度のことはあり得ただろう。
紀伊半島では、400〜600年に一度は大津波が襲来している。
この奇景も、地学的には「火成活動によって柔らかい泥岩層の間に固い石英斑岩が貫入し、柔らかい層だけが浸食が早く進んで」こうなったと説明される。こういうのは、一見素人にもわかりやすいように思えるが、よく考えてみるとどうしてこのように一列の立岩になるのかについては、まるっきり説明されていないのである。
だいたいにおいて、学者の説明には、こういう “わかったようでわからない” のが極めて多い。
弘法大師と天の邪鬼が橋架けの賭をして、できないほうに賭けた天の邪鬼の企みで、弘法大師が途中であきらめて工事を中断してしまったからだ、という伝説のほうが、リアリティはないにもかかわらず、「なぜ?」という部分に関してはうまく回答しているような気さえしてしまう。
今回も、ちょうど満ち潮で、干潮時には陸続きになる中間にある弁天島も、名実ともに島になっていた。橋桁の間から、樫野崎や戸島崎がよく見える。
今夜の宿「浦島ハーバーホテル」は、橋杭岩からは指呼の間にある。「浦島」というのは、紀伊勝浦温泉で有名なホテルグループである。
国際観光旅館の看板はあがっているが、ウォシュレットになっていないとか、設備はいささか古め。
今ではオフィスビルが建っているが、東京都中央区晴海2丁目5の晴海通りの折れ曲がる角に、以前には「ホテル浦島」があった。月島にいた頃にはときどき、散歩がてらにランチや朝食をとりに行っていたこともあるホテルであった。そこの支配人だか社長だかが、賑やかなことが好きな人だったらしく、中央区の祭りには従業員を集めて阿波踊りの連をつくり、自分も先頭に立って踊っているのを、晴海トリトンのさくらの散歩道で見たことがある。
そのホテル浦島がなくなってしまったのは、晴海が見本市会場としての役目を終えたことと無縁ではなかろうが、それにしてはそれから随分長いことがんばったものだ。
串本の浦島にきて、タイムマシンが作動して、そんなことまで思い出しているが、勝浦の浦島には泊まったことがない。
“忘帰洞”で団体ツアー客には有名な巨大観光ホテルだが、このぶんではどうやらそこには行くことはなさそうだ。なにしろ、紀伊勝浦の付近では、でこぼこは多いのに岬がない。
翌日の早朝、紀伊大島の上に朝日が昇る。幸い、天気には恵まれている。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度29分11.88秒 135度47分45.35秒
近畿地方(2011/10/06 訪問)
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