778 仏崎=西牟婁郡白浜町椿(和歌山県)“木の国”では人里からも道からも遠い岬が続いていく [岬めぐり]
紀の国は“木の国”であるとよくいわれるが、白浜町も富田川から南では、ますますその感を深くする。
重層する山また山が幾重にも襞をなし、数え切れないほどの谷と流れをつくり出し、何本もの尾根が競うようにして海に向かって流れ下る。平地はほとんどなく、人が暮すのは川や海に沿ったわずかな隙間だけで、岩に縁取られた海岸には砂浜もほんのわずかしかない。
尾根と尾根の間は複雑な入江になっていて、海岸線を辿る道すらできないので、海岸からは遠く奥まった山中を縫って通る…。
そんな状況が、ここ仏崎を望む白浜町椿の伊勢ヶ谷以南では連続している。
仏崎は、白浜町は椿地区の最南端で、日置(ひき)地区との境界をなす岬だが、そこへ行く道もないので、二軒の大きな旅館がある椿温泉の番所崎付近から、伊勢ヶ谷を隔てて眺めるしかない。
ところが、道なりのこの付近では、海岸を眺められる場所が限られていて、道からは海が望めない。少しでも展望の利く場所を探して、別荘だか旅館などに勤める人の住宅だかが点在する斜面を歩いて行く。
犬に吠えられたりしながら、やっと見つけたちょっとした高台から、仏崎が頭を出しているのがどうにか見えた。
その南隣の向う側には、ハタ崎という岬があり、さらに南に行くと市江崎がある。
道は、42号線が道の駅“椿はなの湯”から東へ進み、山の間をトンネルをまじえながら南に向かう。この道が“熊野街道(大辺路)”と、電子国土ポータルでは記している。
だが、それはいわゆる熊野古道の大辺路(おおへち)ルートとは異なるようだ。
なぜなら、熊野古道の有数の難所ともされる富田坂には、富田川から分かれて取りつくルートがあり、日置川に出てまたすぐ仏坂(この坂はここの仏崎とは別の場所で関係はない)が続くことになっているはずだからだ。そして、この道も同じ電子国土の地図では「旧熊野街道」として一部が表記されている。
近頃では“JRきのくに線”とも呼ぶらしい紀勢本線は、42号線からさらに2キロ以上山側で高瀬山の下を長い烏賊坂トンネルで抜けているが、旧熊野街道のルートは、紀勢本線よりもさらにまた数キロも山寄りになる。一般に“大辺路は海辺の道”といわれることもあるが、いちがいにそうとも言えないらしい。
毎度おなじみになりつつある『紀伊続風土記』の日置浦の項では「北は小名箕輪を富田荘の朝来帰村との堺とし…」とあるのだが、“箕輪”という字地名は、現在の地図から探すことはできない。
地域振興の期待を込めてつくられた道の駅まで、きた道を引き返し、預けてあった荷物をもって、“椿温泉”から“椿”に表記が変えられたらしいバス停に引き返す。
ここで、日置行きの明光バスを待って、いくつものトンネルを抜けて行くが、日置まではまだ白浜町が続く。次の集落は市江崎のある市江なのだが、ここは道路が海まで降りて行くことができない。それくらい谷は狭く、入江は細く、道は狭い。そこでバスは、400メートルくらい山に入った市江口を過ぎて行くことになる。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度35分45.27秒 135度23分23.20秒
近畿地方(2011/10/05 訪問)
コメント 0