SSブログ

777 番所崎=西牟婁郡白浜町椿(和歌山県)プレートも移動しているが椿温泉も南へ移動している [岬めぐり]

bansyozaki01.jpg
 『紀伊続風土記』にも当然ながら温泉の記述はあるが、さほど力の入ったものでもなく、さらりと「村の南八町、椿谷にある。湯は小温で水は清く柔らかい。浴すると体に油を濯いだかのようである」と記している。
 現在でも“美肌の湯”として、客を呼ぼうとしている椿温泉だが、椿谷とはいったいどの辺りだろう。
 一町は約109.09メートルだから、八町といえば約873メートルほど。朝来帰の集落からは1キロ弱南に離れたこの付近の南には、確かに谷のようになった地形があり、小さな入江の端を道路橋で渡っている。
bansyozaki06.jpgnoroshinohana11.jpg
 海辺の椿薬師堂と山寄りの椿大師堂のあるこの谷には、なんとなく見覚えがある。この谷から北が、確か椿温泉の中心であったはずである。大昔に泊まった宿から、その景色も見たような記憶がある。
bansyozaki07.jpg
 その道路橋の手前が椿温泉のバス停だが、この標識の停留所名に注目。明らかに後の二文字が消されているでしょう? バス停の目の前には大きな温泉旅館がある。といっても、ドアは閉ざされカーテンが引かれたままでもはや営業はしていない。とっくに閉鎖されたかつての温泉旅館の建物が、いくつかあちこちに取り壊されるでもなく、そのまま残っているのもよけい哀れでもの悲しい。
bansyozaki08.jpg
bansyozaki10.jpg
 この椿谷を橋で越えた南側には、昔はなかった平地が開かれ整備されていて、そこに道の駅“椿はなの湯”ができている。
 お風呂に入る時間もなかったが、そこで昼食をとり事務所に荷物を預かってもらって、椿谷の南に大きく弧を描いて続く山塊の西を回る。
bansyozaki09.jpg
 実は、今では椿温泉の温泉旅館は、椿谷の北側42号線沿いでは、リゾートマンションが増えるのに反比例してだんだんと姿を消していて、椿谷の南側の大きな出っ張りのほうに移動しているらしい。どうもそんなふうに感じられるのだ。
 現に、電子国土ポータルの地図では、「椿温泉」の表示と温泉マークは、椿谷でもなくこの丸い出っ張りのほうにつけられている。縮尺を変えると恣意的に消えてしまうので、地図としては(とくに海岸線は)あてにならないZENRINソースのYahoo!地図では「椿温泉」の表示と温泉マークは椿谷にあり、あてにならないことでは同じくZENRINソースのMapionでは温泉マークは椿谷と南側の両方にあって、「椿温泉」の表示は南側についている。
bansyozaki04.jpg
 南の出っ張りには、確かに二軒ほど大きな温泉旅館があるが、どちらかというと個人の家や別荘のような建物が多い。とはいえ、なにもない静かな場所で、その海岸に出っ張っている岩の岬が番所崎なのである。
bansyozaki05.jpg
 番所崎の岩は、烽火ノ鼻からもわずかに見えていた。この付近の海岸の岩の層は、黒崎でもはっきりしていたが、岩の板が海に向かって傾斜している。いわゆる“鬼の洗濯板”の様相を呈している番所崎の岩場も、そうである。これを見ていると、思い起こされるのが「地向斜」のことである。
noroshinohana12.jpgnoroshinohana13.jpg
 シロウトなのに興味だけはあったので、地学関連の専門書を読み噛ったことがある。だが、その程度の知識と生兵法では、勝手に思い込んだり想像したりして、それが誤った知識として固定してしまうことがある。そういう、シロウトにわかるような説明をしてくれて、誤解をといてくれる専門書や専門家はいない。
 「地向斜」というのは、長らく地学界の中心となっていた堆積と隆起を説明する理論であったはずである。いまだに説明を読んでも理解しにくいのだが、近所の三浦半島の付け根にもその痕跡があると本で読んで知って、それを確かめに行った。終末処理場ができて、潰されてしまった鐙摺(逗子と葉山の境界付近)の海岸に、それはあった。「鐙摺(あぶずり)の不整合」として、現在ではもっぱら崖の露頭に神奈川県の史跡として、記録を残すのみである。
 その岩の層は、海から陸地のほうに向いて傾斜していた。“なるほど、これが地向斜か!”と納得してしまったのだが、どうやらそれはシロウトの早飲み込みで、関係なかったらしい。
 ではその名前は、いったいナニ!?、文字がもつ意味はナニ!?と言いたくなる。専門家や専門書は、そういうことにまるで無頓着で用語をを使ってきたということなのだろうか。
 しかし、今では地震の度にその一部がニュースでも説明されるほど一般的になったプレートテクトニクス理論が、1960年代後半に華々しく登場してからは、地向斜は見向きもされなくなってしまう。
 でんでんむしが、初めてまとまった情報としてプレートテクトニクスについて知ったのは、1971(昭和47)に新刊で出て読んだときで記憶に残っている、岩波新書の『新しい地球観』(上田誠也:著)であったろう。それまで、ガセ扱いされてきたウェゲナーの大陸移動説と、見事につながったので、彼のために喜んだものだ。bansyozaki03.jpg
 それにしても、付加体でできた日本列島の海岸線をつくる岩場の傾斜の向きは、ところによって異なり、海に向いて傾斜したり陸に向いて傾斜したりするだけ、なのだろうか。そう考えてよいのだろうか。

 ●「付加体」などについては高知県の岬めぐりのあちこちでふれていた。
  518 松崎・城ヶ鼻・岩ヶ崎=須崎市浦ノ内下中山(高知県)動くプレートの縁に溜まったごみの上で
  519 大崎=須崎市浦ノ内今川内(高知県)とほうもない地質年代の時間を想像してみる
  527 大長岬=須崎市野見(高知県)言い伝えが受け継がれてきた海に沈んだ里の話

▼国土地理院 「地理院地図」
33度35分58.78秒 135度23分14.09秒
bansyozakiM.jpg
dendenmushi.gif近畿地方(2011/10/05 訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ
きた!みた!印(37)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 37

コメント 4

ナツパパ

この手の温泉旅館は全国あちこちで苦労してますね。
東京近郊、熱海温泉も旅館が閉じられているとか。
団体客の減少と言うけれど、それだけが原因なのかなあ。
by ナツパパ (2012-04-14 13:07) 

ぱぱくま

しばらくご無沙汰している間にずいぶん進んでしましました(^-^;
温泉街もどことなく寂しそうですね・・
海岸付近なので夏場はにぎわうのでしょうか。
by ぱぱくま (2012-04-15 20:45) 

dendenmushi

@熱海などは、明らかに団体客の現象がモロ原因といわれていますね。ここでは、ちょっとそれだけではない事情もありそうです。
by dendenmushi (2012-04-16 05:11) 

dendenmushi

@夏場といっても、ここらは砂浜がほとんどない、ご覧のような岩ばかりなので、海水浴客はこないでしょうね。白浜からもちょっと奥だし…。
by dendenmushi (2012-04-16 05:15) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました