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775 黒崎=西牟婁郡白浜町椿(和歌山県)“椿”もわるくはないけれど“朝来帰”も捨てがたいいい地名じゃないか [岬めぐり]

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 「朝来帰」の名は、バス停以外にも朝来帰川や42号線の交差点についているから、まるでなくなったわけではない。見草からバスでさらに南下していくと、大赤島という岩島をともなう出っ張りを過ぎて、小さなこぶをカーブで越える。
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 これまで、なんども通ってきたと同じような風景だが、それに続く出っ張りの向うに、この付近では突出して大きな建物がいくつも見えてくる。このカーブが黒崎の上で、建物は小さな湾の向こうにある白浜町椿の町で、椿が昔の朝来帰村なのである。
kurosaki04.jpg 椿と名を変えた湾に沿って展開する町の中を、一本の川が蛇行している。これが朝来帰川で、上流に1キロちょっとくらい遡って行ったところに、JR紀勢本線の椿駅がある。
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 黒崎は、小湾の北側に出っ張って漁港の波除けにはなっているらしい岩の岬だが、そんなに高くも大きくもない。ただ、南側から見るとその海に向かって傾斜している岩の層が印象的である。
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 『紀伊続風土記』の朝来帰(あさらぎ)村の記述は、前述の見草の説明以外は、以下のようである。

 芝村の南一町半にある。高瀬村の小名袋より礒山を越えて当村の小名見草に至りまた礒山を越えて本村に至る。この地は荘の南端で人家は海湾にある。東南は安宅荘の日置浦の小名市江と礒山を堺にする。この崎が最南端に突き出るので市江崎といい、海路を渉る者が難所とする。朝来帰の名の意味は詳らかでない。中古、富田荘十二ヶ村の称があって朝来帰の村名はその内に漏れている。その地は山間海礒の狭地なので、その頃は一村の姿はなかったのであろう。(KEY SPOT 『紀伊続風土記』現代語訳による)

 つまり、現在の白浜町椿地区は、昔は朝来帰村といっていたわけで、その名の由来はよくわからないとしながら、結構広い富田荘の南端で、人家は湾に面してあるという。
 「家数79軒 人数 409人」という記録も併せて記しているが、それが現代の基準で多いのか少ないのかよくかわらない。他の村と比べて、特別少ないというほどではない。
 ただし、“富田荘十二ヶ村”のなかに漏れているので、“一村の姿”をなしていない時期もあったのだろうと推測している。また、安宅荘の日置浦の市江崎まで言及していて、境界と難所との表現から、昔から富田荘の外れとの認識はあったようだ。
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 現在では、朝来帰地区のJR紀勢本線の駅名は椿駅だが、上富田町には朝来駅(あっそえき)という駅がある。その場所は、白浜駅よりも北側に位置している。白浜駅から二駅も南にある椿駅が最寄りとなる朝来帰とは随分離れているし、「帰」の字がなくなって読み方も変化している。
 もともと別の相互に関係のない地名とするには、いささか特異過ぎるように思えるので、おそらくは富田荘がその後の新しい行政区域に分割されるときに、なんらかのいきさつがあって残ったものだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
33度36分38.93秒 135度23分32.16秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2011/10/05 訪問)

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タグ:和歌山県
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コメント 3

お水番

朝来帰(あさらぎ)、文字も響きも、なんとも素敵な名前ですね。
どんな意味があったのでしょうね、いろいろと想像が膨らみます。
ずっと残ってほしい地名ですね。
by お水番 (2012-04-10 11:35) 

ナツパパ

素敵な名前ですね。
せっかくそういう良い名前があるのに改名とは残念。
川の名前はそのままなんですね
by ナツパパ (2012-04-10 17:30) 

dendenmushi

@お水番さん、ナツパパさん。やはり、みなさんそう思われるようですね。
全国どこでも、古い地名は、できるだけ大切に守り伝えていきたいものですね。
by dendenmushi (2012-04-12 05:58) 

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