774 見草崎=西牟婁郡白浜町椿(和歌山県)「見草」も「朝来帰」も今ではバス停にその名を残すのみ [岬めぐり]
佐兵衛ノ鼻を過ぎて、1キロもいかない間に、また前方に出っ張りが現われる。ここまでが白浜町富田で、ここから南が白浜町椿となる。見草崎は、そのすぐ隣に位置するのだが、北側の境界となっている出っ張りと接近しているので、展望がうまくとれない。
バスが熊野街道を南下して、小さな湾と見草の集落を西に回り込む辺りで、ようやくその姿が明らかになる。だが、湾の北側から見るのと、南西に少し回り込んでみるのとでは、まるで別の岬のように、その姿を変えていく。
富田との境の山とは、道路が分けていて独立した山の西端が見草崎。その周辺は崖で、先端部分にはいくつかの長い岩が横になっている。
このさい、できるだけ『紀伊続風土記』に付き合ってみたいと思うのだが、牟婁郡富田荘のなかで最南端に位置することになる朝来帰(あさらぎ)村の記述のなかに、見草崎もちゃんと出てくる。
小名見草は朝来帰と高瀬村との間にある。別に小湾をなしている。その出崎を見草崎という。(KEY SPOT 『紀伊続風土記』現代語訳による)
岬のような出っ張りのことを、「出崎」と呼び慣わすのが普通だったようだ。「見草」の小字名も、村の名の「朝来帰」も、今では住所表示からは消えているので、わずかにバス停にその名を残すのみである。
そもそも、「見草」とはどういう意味なのだろう。
“見草”として独立の用法はないようだが、その頭に一字つけると実にいろいろの意味がある。
たとえば、「庭見草」といえばハギの古名である。もっとも、ハギの場合は特別に異称が多い植物で、鹿鳴草・風聞草・月見草・初見草などもあるうえ、庭見草にはバショウの別称とかタチバナの別称とかいう説もあったりして、わけがわからない。
また、時見草とはマツのことで、色見草はモミジ、霜見草といえば寒菊の別名で、裏見草は葛。一字ではなく二字になるが、千代見草は小ぶりの白い菊の異名の一つである。
こうなると、“見草”自体は、植物や花の一般総称として軽く流しておくのがふさわしいのだろう。
椿から北に見える岬が、この見草崎にあたると思ったのだが、どうもこうして写真を並べてみると、違うようにも見える。だが、それ以外に考えられない。また、そのバックに写り込んでいる高い塔のようなものと白い建物にも覚えがないが、方角からすると、バスで北を大きく迂回してきた白浜空港の滑走路の延長線にあたる、才野の権現平付近だろう。ここらには、老人向けのマンションなどがいくつもある。
33度37分6.46秒 135度23分25.21秒
近畿地方(2011/10/05 訪問)
お花の別名 ~見草って
風情があって、とてもいいなあと思いました
by はなだ雲 (2012-04-08 20:05)
@はなだ雲さん、コメントありがとうございます。そうですよね。昔の花の名前の風情は、洋花全盛の時代にも、見直していいですね。
by dendenmushi (2012-04-10 05:50)