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762 森の鼻=日高郡みなべ町堺(和歌山県)日高町・御坊市・印南町・みなべ町から田辺市の岬をつなぐ [岬めぐり]

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 護良親王が熊野落ちするときは、傷心のうちに由良湊から切目の王子に着いたとされているが、この「王子」と呼ばれる社は熊野詣の参詣道沿いに参詣者の安全を守るため、修験者によって設けられた。
 彼らが、主に都からやってくる皇族・貴人たちの先達を務め、その必要からうまれた熊野参詣道の、チェックポイント、旅程の目安ともなる一里塚のような役目も果たしていたのだろう。
 最盛期には、九十九王子と総称されるほどたくさんつくられたようだが、なかでも他の王子とは格式を異にする五体王子の一社とされる切目の王子は、平清盛が熊野詣の途中で義朝挙兵の報を聞いてここで戦勝祈願をして引き返したとか、後鳥羽院の歌会が開かれたなど、由緒の社であったらしい。
 その切目王子は、今では社殿もなく、その跡が残されているだけという。現在では、切目は日高郡印南町で、その東に日高郡みなべ町がある。
 ここを通る熊野古道は、いくつもの王子を辿る海を眺めながらの道である。切目からは、中山王子、岩代王子、千里王子、三鍋王子、鹿島王子と、みなべ町を経由し、田辺市に入ると芳養王子、出立王子とあるが、ここまでが海岸に近い道。
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 和歌山県、奈良県、三重県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」、いわゆる熊野古道が世界遺産に登録されたのは、2004(平成16)年のことだが、この付近のルートは、登録からは外れているらしい。
 おそらくは、フツーの市街地や畑などを通るだけだからなのか。
 日高町の神取鼻、名南風鼻・ばべ鼻は、先の項目で紹介済みなので、これに続く、御坊から田辺までの間の岬めぐりは、「395 蛇ノ鼻」〜「405 埴田崎・森の鼻」の項と続く。
 
 395 蛇ノ鼻=日高郡日高町大字阿尾(和歌山県)実はここが紀伊..
 396 馳出の鼻=日高郡日高町大字阿尾(和歌山県)海の自然は..
 397 小浦崎・洲崎・兜崎=日高郡日高町大字小浦(和歌山県)バス..
 398 産湯崎=日高郡日高町大字産湯(和歌山県)遠き島より流れ..
 399 唐子崎=日高郡日高町大字比井(和歌山県)“からこ”で連想..
 400 壁川崎=御坊市名田町野島(和歌山県)木の国・日高川・..
 401 畑野崎=日高郡印南町大字印南(和歌山県)おもしろうて..
 402 切目崎=日高郡印南町大字島田(和歌山県)かえる橋が秘..
 403 小目津崎=日高郡みなべ町山内(和歌山県)ホテルの部屋..
 404 目津崎=日高郡みなべ町山内(和歌山県)ころころさやさ..
 405 埴田崎・森の鼻=日高郡みなべ町埴田・堺(和歌山県)備..

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 そこで、これに続いて田辺市西部周辺につなげなければならない。そういうわけで、でんでんむしも、由良からは一気に田辺までとんできた。
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 紀伊田辺駅から一駅戻って、芳養(はや)駅に降りた。「芳養」と書いて「はや」と読ませるのも地名ならではだが、駅から南の方向に歩いて行くと、港に出る。港といっても、一帯のかなり広い範囲は、まだ新しい埋立地で、まだ白い色を多く残している防波堤が、延々と連なっている。
 そこから海を眺めると、右手、西寄りに長く飛び出した岬がある。
 そこが、みなべ町堺の森の鼻で、その岬の付け根辺りが堺漁港になる。芳養から見ると漁港の堤防ばかりが目につく。森の鼻自体が、平地で山も崖もない場所なので、横から見るとほとんど目立たない。
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 「405 埴田崎・森の鼻」の項では、みなべ町の目津崎からの遠望で、二ついっしょにして西から見ていたわけだが、今度は東から見ている。森の鼻や堺漁港があるところは、まだ、みなべ町だが、その少し手前港の堤防がつきるあたりからは田辺市になる。堺は境でもあったのだ。
 ここは、紀勢本線がトンネルでくぐり抜けるみなべ町と田辺市の境界の山の流れ来る先端で、42号線の熊野街道はトンネルによらず、この岬を裾を回っている。

▼国土地理院 「地理院地図」
33度44分33.98秒 135度19分41.50秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2011/10/04 訪問)

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タグ:和歌山県
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きた!みた!印 33

コメント 4

makon

トップ画像はコンドイですね!(^^)みーはいゆー
by makon (2012-03-15 17:57) 

dendenmushi

@makonさん、コメントみーはいゆーです。makonさんなら、すぐわかるだろうと思いましたよ。トーゼン、(^^;ですね。
まだ、和歌山が当分続きますので、先のことになりますが、ここを項目にあげるときには、やっぱり「コンドイ」という名前が気になりますが、これはどういう意味なんでしょうね。二説あってはっきりしないようなので、なんとなく不明…みたいな感じなんですが…。
by dendenmushi (2012-03-16 07:46) 

makon

コンドイは幸本泊(こうもとどまり)からの説と籠解いの2説がありますよね。私的には幸本泊が有力です。隣の西桟橋には艫どい(ともどい)の呼び名もありますが、海辺の(とい)(どい)は泊があたるかなーと勝手に解釈しています。北の岬には親泊(おやどまい)って御嶽の名前も残ってますね。由来を考えるとたのしいですね。本日のコンドイUPしています(^^)
by makon (2012-03-16 20:21) 

dendenmushi

@沖縄のことばは、文字にしてもなかなか本土の人間には、ピンとこないことが多いですね。
コンドイのネコ達は、今日も元気だろうか。
makonさんのアップされた写真を見ながら、思いました。
この度は、北の岬と東の岬にも行きました。
by dendenmushi (2012-03-17 07:44) 

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