SSブログ

番外: このブログの“いちばん人気の項目と不人気の項目”は…(「惜櫟荘」と「居眠り磐音」佐伯泰英氏) [番外DB]

◆ブログレポート/1月分≪後編≫では
 So-netブログのブログレポート/1月分≪前編≫が2月の末にきて、5年9か月のブログ年齢で、“マメ度は4、フレンドリー度は5”であるという。だいたい隔日更新をメドにしているので、マメ度はこれ以上にはならない。フレンドリー度というのは、“前月のnice!数に応じて算出”とあるが、ひきこもりでほかの人のブログ訪問は、いただいた“きた!みた印”の答礼訪問くらいしかしていない。それなので、さほど多くないはずなのに最上級である。それがどういう基準によるものか、不明である。
 以来、待っていた≪後編≫が、やっと2012年3月8日にきた。そこでは、アクセス状況は“前月     44143 アクセス 前々月     37796 アクセス”となっている。また、閲覧数の多いベスト3のお知らせが毎度あるのだが、“「でんでんむしの岬めぐり」から注目記事をピックアップ! 過去3カ月間でアクセス数の多い記事ベスト3”として、次の三項目があげられている。

 1位     159 雄美岬・猿多岬(豊後関前)こんなのあり~? ありなんです
 2位     番外:休暇村越前三国など=坂井市三国町崎など(福井県など)“都道府県別幸福度調査”のベスト3は…
 3位     61 (追加)月島再開発=その2。月島一丁目で進む新たな再開発。あの祠は帰ってくるのだろうか

 「番外:休暇村越前三国など=」とその前に「61 (追加)月島再開発=その2。」があるページはこちら

 つまり、ここでいう“過去3カ月間”“とは、2011年11月から2012年1月までであろう。この期間で、1位”になっている、「159 雄美岬・猿多岬(豊後関前)」の項目は、若い連番で、古い項目であるにもかかわらずいまだにこの欄の常連である。
 
◆このブログ全項目閲覧数・多い順と少ない順
 過去3か月だけでなく、全項目全期間にわたって、閲覧数の多い順と、少ない順の両方からリストアップしてみると、以下のようになる。これはもちろん、So-netのサービスではないので、自分でつくる。

ninnkilist01.jpg
ninnkilist02.jpg

 これを見ているとブログの記事項目がそれぞれどのように見られているのか、いろいろおもしろいこと、不思議なことがあるのに気づかされる。
 まず、第一に当「岬めぐり」ブログのなかで、いちばん“人気”、閲覧数の最も多い項目である159項は、ダントツのトップであるが、これは岬めぐりに入れてはいるものの、実在の岬ではない。人気という言葉で括るのも、いささか問題だが、とりあえずここではそうしておく。
 佐伯泰英著「居眠り磐音江戸双紙」という双葉文庫の書き下ろし長編時代小説に出てくる主人公の故郷、豊後関前の城下にあるという設定の、架空の岬であって、これを見る人の興味は、岬めぐりとはおのずと別のところにあるはずである。
 実在の岬のトップは、「111 鴎ヶ鼻=恋人岬(新潟県)」で、どうしても159項の陰になってしまうが、番外を除いて実在の岬だけみると、これだけがまた異様に突出している。恋人岬という名前によるところ、そこにあるホテルとの関連で、これもなにか特別の事情(どこか有名なところにリンクされたとか)があったものだろう。
 5番目の「374 和田崎」以降が、普通の岬くらべのリストになるが、2000〜3000くらいの閲覧数である。2000を超える25位までのリストを眺めていてまず気がつくのは、誰でも知っているような有名な岬がどこにもない、ひとつもないということである。
 逆に、名前を聞いても、誰もがどこにあるのかも知らない、そういう岬ばかりが閲覧数の上位を占めている。なんでぇ〜、と思ってしまうが、これはいったいなぜだろう。
 たとえば、11位に「041 長崎鼻=銚子」がある。これは犬吠埼の隣の岬なのだが、有名な犬吠埼そのものは、ここに入らない。
 その次の「060 野寒布岬=稚内」だけは、多少理由がわかる。一時期、ウイキペディアの外部リンクがつけられていたことがあったので、そのせいだろうが、最北端の宗谷岬はないし、東の納沙布岬も出てこない。
 同じ三浦半島で、6位の「070 雨崎」や14位の「071 燈明崎・千代ヶ崎」よりは、やはりそれに隣り合う剣崎や観音崎のほうが、はるかに知られているはずだ。
 検索でやってくる人が多いと思われる当ブログでは、有名な岬の名前では、わざわざ検索しようとする人が少ない、ということなのだろうか。
 閲覧数の少ないほうでは、どうだろうか。これは新しい項目は当然少なくなるので、掲載してから2年以上年月が経過しているもの(500番より前の項目)から、閲覧数の少ないものを順に並べてみた。
 600に届かないこのリストに、美空ひばりの歌で有名なはずの「179 塩屋埼」が入っている。これも、エエッなんで〜、という感じだが、リストをつくっていて気がついた。みんな「塩屋崎」だと思っているから、「塩屋埼」としたのがいけないのではあるまいか。それで、検索にもひっかからないのか。犬吠埼も同じか…。でもねぇ…。
 伊豆西海岸で、海水浴場としても少しは知られているはずの「201 大瀬崎=沼津」が少ないほうから数えて15以内にいるというのも、「019 御浜岬=戸田」が、ダントツぶっちぎりの最下位というのも、なにか妙に不自然な感じもする。

 いちばん人気は 159 雄美岬・猿多岬(豊後関前)こんなのあり〜? ありなんです
 いちばん不人気は 019 御浜岬=戸田(静岡県)
 
◆岬・崎・鼻のひとつひとつに愛着と感想が
 個々の項目の閲覧数が左右される事情は、単一ではあるまい。いちいち詮索してみるのもあまり意味はないのだろう。始めのほうは、かなりの間、キーワードの指定もしないで、あなた任せにしていた。途中から気がついて自分でキーワードを指定するようにしたが、それも比較的最近のこと。また、少数ながらご近所や返礼でnice!をつけるようになったのも、ここ1年くらいのことでしかなく、それまではまったくのひきこもりで通してきた。
 それらが、どの程度影響があるのかないのかもわからない。
 だが、でんでんむしとしては、そのひとつひとつに愛着と感想があり、リストをつくっていても、それを自然に反芻していたり、こんな項目もあるのにもっと多く人に見て読んでもらいたいと思う気持ちも、ふっとあったりする。いつかまた、陽の当たらない項目、閲覧数は少ないが有名な岬などの虫干し企画もやってもいいかもしれない。
 この項目は、ところどころで自分自身のブログの記録のために書いているもので、人様に読んでいただくためのものではない。人気のないほうの12位に「番外:So-netブログでの3年と1か月」という項目があるが、これと同じである。これは2009年11月に、500項目に達したところで、一区切りつけるつもりで書いたものだ。結果的には、これでSo-netとの縁は終わらず、少し空白をおいてまた同じところで継続することになったのだが、そういう時期にまとめたものであった。
 ここでも、その時点でのリストをつくっているので、対比してみてもおもしろい。この時点のリストでは、「111 鴎ヶ鼻=恋人岬」がトップで、「159 雄美岬・猿多岬」が2位であった。
 これも、自分一人でおもしろがっているだけであるが、しょせんブログなどというものは、そういうものであろう。

◆再び159項目の「居眠り磐音江戸双紙」マイブーム
 今回、ここで記録に残しておきたかったことは、この159項目の異常な動きについてである。「番外:So-netブログでの3年と1か月」でも書いたのだが、「いつかどこかでマイブーム」というヤツである。
159list01.jpg
159list02.jpg
 2012年の3月4日、新項目を遥かに超えて、古い159項目の訪問者数・ページビューが、突如として集中的に飛躍的に上昇するという事態になった。
 どうも、時間帯で見ると、夕方かららしい。前日にもその予兆のようなものがあって、ブログパーツのジオターゲティングで見ると、それはどうやら震源地は神奈川県らしい。神奈川県は、このあとも少しその余韻が残る。
kanagawaken00.jpg

 これはいったい、どういうことだろう?
 上記リストの159項目の閲覧数8,135 というのは、ここ5日の間に500以上も急増した結果なのである。
 この項目、実はたいしたことは書いていない。たいしたこと書いていないこと自体は、なにもこの項目に限らないが、衰えをしらぬ「磐音人気」のおこぼれの恩恵を、当ブログも授かっているということなのだろう。
 それにしても、どうして…という思いは消しがたい。
 それはね…と教えてくださる事情通は、現われないだろうか。
 もうひとつ、別な疑問も湧いてくる。この日は、このおかげもあって、So-netブログ全体のアクセスランキングのグラフで300位にまで迫ったのだが、地域ブログのランキングでは、まったく動かない。急上昇のリストにも上がらない。アクセス記事のリストなどにも、出ることもない。
 こういった一過性のブームは、So-netブログでは、どうやら「なかったことに」されてしまうことになっているのか。実は、こういうことはこれまでにも、何度もあった。どうせ、翌日にはすぐ落ちるのだから…という配慮なのだろうか。

◆「惜櫟荘」と佐伯泰英氏
 熱海は神奈川県ではなく、静岡県である。
 『惜櫟荘主人』(小林勇)という本を買って読んだのは、もう随分昔の若かりし頃であった。これは岩波茂雄のことを、女婿であり部下であった著者が書いたものである。現在の記録では別の版元になっているが、初版は確か岩波書店から出ていたはずだ。そう思って、本棚をあちこち探してみたが、こどもがもっていったものか見当たらない。
 自分が常に気にしてきた編集者としては、花森安治と神吉晴夫と小川菊松をあげているでんでんむしとしても、やはり岩波茂雄は別格の存在であった。
 「居眠り磐音江戸双紙」という、ばりばりの大衆娯楽小説を書いている佐伯泰英氏が、取り壊しの寸前にあった熱海の惜櫟荘を買い取ったことは、だいぶ以前からなにかで(あれは氏がNHKのテレビに出たときだろうか。そうだとすると「陽炎ノ辻」をいちばん最初にテレビで放送する直前のことであろう)知っていた。その後にも、今は亡き児玉清が、えっちらおっちらと山道の石段を登って、惜櫟荘に「江戸双紙」シリーズの著者を訪ねる場面と建物の様子を、なにか懐かしい気分で見たことがある。
 その後は、岩波書店のPR誌『図書』にも、佐伯氏によってその後のいきさつなども書かかれているが、惜櫟荘とは、岩波茂雄の別荘だった建物なのである。
 『惜櫟荘主人』を読んで、勝手なイメージをつくっていたが、その別荘も売りに出され、それを取り壊してマンションか何かにでもしようかというとき、それを保全するために買ったのが、今や大衆小説の旗手ともいうべき佐伯泰英氏であったというのが、単なる偶然以上の意味をもっているのではないかと、しきりに思われてならないのである。
 近年では、新潮文庫の『古着屋総兵衛』の新旧両シリーズまで手を広げて、全部読んでいるでんでんむしの、ひとりよがりな思い入れである。

sekirekiso.jpg
 佐伯氏が惜擽荘を買い取って修復し、保存に努めたいきさつは、『惜擽荘だより』としてまとめられ、それを出版したのは岩波書店であった。

dendenmushi.gif(2012/03/09 記)

☆シリーズ完結しました!
 1327 雄美岬・猿多岬再び=白鶴城下(豊後関前藩)佐伯泰英著『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズ(双葉文庫)完結記念! (2016/01)

 

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ


タグ:blog
きた!みた!印(31)  コメント(2)  トラックバック(2) 
共通テーマ:blog

きた!みた!印 31

コメント 2

ぱぱくま

ブログ5年目だったのですね!!
記事の数が日本の海岸線の複雑さを物語ってますね・・

アクセス情報は今一つ正確性やら根拠が
分からないですね・・
自分はあまり気にしないようにしてます(^-^;
by ぱぱくま (2012-03-10 14:44) 

dendenmushi

@So-netは6年目ですが、その前にはエキサイトで数年やってました。
So-netも、ランキングだのアクセス数だのいうんなら、もうちょっとわかるように説明してもいいのにね…。
by dendenmushi (2012-03-11 06:45) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 2

トラックバックの受付は締め切りました